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小さな映画館 第107幕

「ブラッド・ダイヤモンド」

「ベニスに死す」

「グラディエーター」

「乱」

「悪魔は誰だ」

 

「ブラッド・ダイヤモンド」

レオナルド・ディカプリオ ジャイモン・フンスー主演 エドワード・スウィック監督

 

【あらすじ】

内戦が続くアフリカ西部シエラレオネ共和国。漁師のソロモンは反政府勢力RUFによって村を襲われ、息子を浚われる。ソロモンはRUFの資金源となっているダイヤモンドを採掘するために強制労働をしていた時、偶然ピンクがかったダイヤモンドを見つける。その時政府軍によって攻撃され留置場へと連行されたソロモンはローデシア出身の白人アーチャーと出会う。

 

【感想】

ディカプリオ主演作の中でも1,2を争う名演と名作。

人間の浅ましさ、強欲さ、残忍さ、それらがすべて詰まっています。たったひとつのダイヤを巡って、です。

ダイヤは確かに美しく、その価値は古来より高貴なものとされてきました。しかし、例えば飢饉があった場合、ダイヤは何の役に立つのでしょう?ダイヤで満腹にできるでしょうか?美しい以上の価値がそこにあるのでしょうか?

しかし人間はどこまでも欲を追い続けます。

アフリカでは同じアフリカ人同士が殺し合い、そこに西洋人たちがあらゆる利権を求めて介入していく、まさに地獄絵図です。

ソロモンは貧しくても、医者になりたい息子や家族を愛していました。ダイヤ以上の価値のあるものです。しかしそれが無残にも奪われてしまいます。

一方のアーチャーも両親を殺されており、国に翻弄された男です。彼はダイヤの密売をしていましたが、ソロモンやボーエンと出会い変わっていきます。最後にはダイヤモンドにも勝るものを手に入れ、静かに眠りました。

映画の最後にも書いてありましたが、例え紛争が一時終結しても、少年兵はたくさんいるんです。少年兵ほどむごいものはありません。なんのために生まれてきたか、なんのために戦うのか、それらすべてが利用されるんです。ソロモンの息子ディアは今後苦しむと思います。例え薬漬けにされ、命令されていたとはいえ人を殺してしまったんです。だからこの話は、その後こそ重要なんです。

 

人種間の争いは欲からもくれば、それは恐怖からも来ます。争い自体はなくならないにしても、努力を怠ることをしてはいけません。

肌の色で争うのは本当に醜い。どんな肌の色をしていたとしても流れる血の色は同じなのに…。

 

「ベニスに死す」

ダーク・ボガード ビョルン・アンドレセン主演 ルキノ・ヴィスコンティ監督

 

【あらすじ】

静養のためにベニスに訪れた作曲家のアッシェンバッハは、ポーランド貴族の少年タジオと出会い、その美しさに理想の美を見出す。しかしベニスでは疫病が流行っていた。

 

【感想】

 

トーマス・マンを好きになったのは三島由紀夫のおかげです。彼がことあるごとにマンの影響を語るうち、読んでみたくなったんです。するとマンを読んでいくうちに、どれだけ彼が三島に影響を与えたのかがわかりました。それどころか、マンの一部を模範して作られている作品もあるくらいです。

原作「ヴェニスに死す」では作家として登場するアッシェンバッハですが、今回は友人のマーラーと重ね合わせた作曲家として登場します。

さて注目すべきは友人アルフレッドと繰り広げる「美」に対する討論です。

アッシェンバッハは「美と純粋さの創造は精神的な行為だ」とし、美と純粋さは理性と知性から生まれると主張します。しかし友人は「美は感覚に属するものだ」と反論するんです。

アッシェンバッハは感覚という曖昧なものを否定します。「感覚に対して優位に立つことで、真の英知に到達できる。さらに真理と人間的尊厳へも」。さらに悪魔と芸術家の同一性を否定します。芸術家になるのも、悪魔になるのも、それは理性によって決まることだと。

それに対し友人は「それは何の役に立つ?」とし「邪悪は必要だ。天才の食糧だ」と主張しました。つまり天才の中にも「悪魔」と同一であることがあります。

それでも「芸術家はバランスの象徴であり、曖昧ではいけない」とするアッシェンバッハ。しかしアルフレッドは「芸術は曖昧だ。特に音楽はその性格が強い。それが自然科学をもつくった」とし彼はピアノを弾き、「どうにでも解釈ができる」とし「音楽」という芸術の曖昧さを強調しました。芸術は各々の解釈次第でなんとでもなってしまうという、「芸術」の完璧性に対する欠点を言い当てたのです。

 

アッシェンバッハは理性をもって美を追求しようとしましたが、それが突然終わりを告げるのです。それこそタジオという美しい少年の登場でした。それは自然的に発生した、彼にとっての究極の美なのです。アッシェンバッハはアルフレッドの言うように感覚でそれを捉えたのです。

老いたアッシェンバッハは「少年」の美しさを追っていきます。しかし美しいベニスの街を覆うのは「コレラ」でした。観光が経済と直結しているベニスの人々は、例え疫病が流行っていても、観光客が減ることを懸念して口をつぐみました。忍び寄るのは「死」。しかしアッシェンバッハは死よりも美を選択しました。

「(砂時計の)砂の上の部分がなくなった頃には、終わっている」というように最後はアッシェンバッハはタジオの美しい姿を目に焼き付け、死んでいきました。

 

タジオは本当に同性であってもその美しさを認識します。この映画を「少年愛」や「同性愛」で観る人もいるかもしれません。しかしこれはあくまで芸術家の理性を超えた「美」がテーマです。

美少年というのは決して彼自身が努力をした結果ではありません。自然に兼ね備えた美なのです。ただし、その美でさえ、人によっては醜悪にも映ります。そう、その美を捉えるのは、やはり各々の感覚なのです。美というのは自意識の究極のエゴであるのです。

 

「純粋さは努力ではどうにもならない。この世で老人ほど不純なものはない」

 

「グラディエーター」

ラッセル・クロウ主演 リドリー・スコット監督

 

【あらすじ】

ローマ帝国の皇帝であり、哲学者でもあるアウレリウスのもと、将軍マキシマス・デシムス・メレディウスはゲルマニアに遠征し、勝利を勝ち取る。すでに老帝となっていたアウレリウスは息子のコモドゥスの野心を警戒し、マキシマスにローマを頼むと託す。しかしコモドゥスはローマの皇帝となり、マキシマスを殺そうとする。逃れたマキシマスは愛する妻と息子を殺されてしまう。失意の中、マキシマスは奴隷となってしまうが、剣士(グラディエーター)となり、再びローマ帝国へ戻る。

 

【感想】

かっこいい!!ラッセル・クロウはやっぱこうでなくちゃ!って感じの映画。

とにかくローマ帝国時代ってワクワクするんですよ。ハンニバルやスキピオが活躍したポエニ戦記、ゲルマニア人との攻防、カエサルの独裁と暗殺。

長いローマ帝国は数多くの皇帝を生み出しました。カエサルの意志を継いだ初代皇帝アウグストゥスからいろいろいたわけですが、とりわけマルクス・アウレリウス・アントニスは五賢帝最後のひとりです。世界史でも名前が出てきますし、「自省録」は有名ですね。そんな名帝にも汚点がありました。それが息子のコンモドゥスです。野心家でとにかく疑心暗鬼。ただこれには映画では描かれていない内容もあるわけです。

この映画はそんなコンモドゥスを、言ってしまえば「悪」の皇帝として描かれています。

主人公のマキシマスはローマに忠実で、家族思いの主人公。部下からの信頼も厚く、とにかく人に愛される男です。

ただはっきり言えばこの映画、マキシマスを主人公に見せかけて、案外コンモドゥスにスポットを当てています。父から見放され、姉からも警戒され、誰からも愛されないんです。おまけにローマの民衆までマキシマスの見方をしてしまいます。そんな姿を描かれるわけですから、どうしても「まあ悪くなるわな」と思わざるをえないんです。

実際のコンモドゥスは暗殺されてしまいます。まあ結構非道なことばかりしてましたからね。ただこの映画ではマキシマスの手によって殺されます。だから殆ど史実とは違うんですけど、史実にしろ、映画にしろ、なんとも救いようのない死にかた。最後はいわゆる「理想のローマ帝国」を取り戻そうで終わります。

すごくシンプルな物語の中に、「闇」と「光」をみせ、なおかつ2時間半以上の長丁場を飽きさせない、リドリー・スコットの演出は良かったです。

 

「乱」

仲代達也 原田美枝子主演 黒澤明監督

 

【あらすじ】

戦国時代、齢70の秀虎はうたた寝で悪夢を見たため、突如隠居を表明する。秀虎は息子たちの団結を説くが、三男の三郎は父親の弱きさに懸念を訴える。しかし秀虎は激高し、三郎を追放してしまう。秀虎は長男の一郎の城に身を寄せる。一郎の正室楓の方は「馬印がなければ形だけの家督譲渡に過ぎない」とし、馬印を父から取り戻そうとするが、そこで小競り合いが起き、秀虎は一郎の家来のひとりを射殺してしまう。そのことで一郎も領主の立場に従うように言うが、秀虎は拒否し、二郎のもとへ。しかし二郎もまた父を無下に、しまいには息子たちが自分を殺そうと迫りかかったことで、狂ってしまった。

 

【感想】

正直な話、「リア王」が下敷きになっている時点で物語のオチは大方読めます。しかしそれを日本で成し遂げた黒澤明の手腕。まさに見事としかいいようがありません。恐らく、日本映画はこの先このくらいのスケールの映画は撮れないかもしれません。

さて、この映画はいわば戦国の世の、人間の欲望と愛憎が描かれています。秀虎はたしかに名のある戦国武将であっても、それは血なまぐさい所業の果ての成功です。そこには多くの涙が流れています。末のように憎しみから解き放たれるために仏の道を説く者もいれば、復讐しようと一文字家の滅亡を眺めようとする楓の方のような悲劇的な人物を生み出していきます。仏教的に言えば、因果応報です。

最後のほうでこの映画の主軸となるセリフがありますね。若干説教くさくもありながら、人間の真理を言い表しています。「神や仏も救う術のない人の世」。これが人の世です。それくらい穢れているんです。この世は神も仏も見放した、という黒澤明のメッセージは僕の心にも響きました。

個人的に個性的な登場人物がいるなか、ピーター演じる狂阿弥の存在は際立っていましたね。秀虎の側で阿呆を演じながら、狂った大殿に対しては本音をぶちまける。だけど崖から落ちて本気で心配したり、大殿の死に涙するんです。

狂阿弥ってすごい名前だと思いません?長男、次男、三男なんて、ほとんど適当な感じの名前なのに、この狂阿弥だけ際立ってるんです。狂った阿弥陀のよう。本来悪人であろうと救う阿弥陀が狂ってしまうとしたら。それはなんとも醜悪な世の中です。でもそれこそがこの映画の趣旨です。

それにしても仲代達也のメイクは狂気とともに恐怖さえ覚えます。

 

「悪魔は誰だ」

オム・ジョンファ キム・サンギョン主演 チョン・グンソプ監督作品

 

【あらすじ】

15年前に起きた誘拐事件は時効を迎える。15年間必死に捜査をしていたチョンホは失意から辞職を願い出る。しかし15年目のある日、同様の手口で少女が誘拐される。

 

【感想】

スピーディなんだけど、早すぎて雑!演出も!!ただそんな雑さもスピードがあって黙殺されるという皮肉。

過去と交互に見せていく演出は良かったんだけども、オチの雑さと、とりあえずじいさんの瞬発力ヤバすぎ!!

とまあ、いろいろ書いてるけど、いい映画ですよ。何より犯人が序盤から現れているのに捕まえられない感じは良かったです。ハラハラもするし、展開も気になる。なによりも真相が気になったうえでの、あの切ないラストですからね。ただし、最後に少女を使って自白を強要し、別の容疑をでっち上げて懲らしめるっていうのはちょっとな、と。もちろん時効が切れているからこそ、罪を償わせる手段なんですけどね。ただね、その孫娘ってある程度記憶してると思うんですよ。子どものうちはどんな証言をしたって、子どもだから、とか、被害者だからといった理由で、証拠には値しないと思うんです。ただね、彼女が大人になったらどうです?たしかに祖父は最悪の誘拐犯だったかもしれない。だけど、自分は利用されたんだと気づくと、大人になって想像以上の痛みを伴うと思うんです。そこが個人的に感じるこの映画のオチの弱さです。

タイトルは秀逸だと思います。原作のタイトルはわかりませんけど、たしかに「悪魔は誰だ」ったんでしょうね?

 

author:トモヤムクン, category:-, 18:05
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小さな映画館 第106幕

「7番房の奇跡」

「老人と海」

「裏切りのサーカス」

「サイド・エフェクト」

「スイミングプール」

 

「7番房の奇跡」

リュ・スンリョン パク・シネ主演 イ・ファンギョン監督

 

【あらすじ】

知的障害をもつイ・ヨングは6歳の娘イェスンとふたりで暮らしていたが、ある日道に倒れている少女とふたりでいるところを目撃されてしまい、逮捕されてしまう。その少女は警察庁長官の娘で、捜査は素早く行われ、証拠も不十分なままヨングは死刑を求刑される。7番房に入れられたヨングは同じ受刑者とわかりあっていく。

 

【感想】

 

正直、大人イェスンと先生タイプです(真顔)

 

ああ、もうボロボロ泣いた。本当にラストは大泣きした。こういう表現って安易であんまり使いたくないんだけども、それくらい感動しちゃった。

この映画は韓国版「アイ・アム・サム」みたいなところもあるんだけども、それよりは少しコメディ寄り。本当に序盤から中盤にかけては笑いどころが多くて、出てくる登場人物が、犯罪者にも関わらず愛おしい。ヨングとイェスンの純粋な善がみんなに伝わっていく感じが本当に良かった。

それと同時に結構社会的な風刺も描かれています。割と韓国映画に出てくる警察っていうのは、横暴で人権を無視するようなところがあります。今回もロクな調査もせず、警察庁長官のご意向によってヨングという被害者出てしまいました。最後に弁護士となったイェスンがそうした捜査の横暴さを立証したわけです。

ところどころ突っ込みどころはあるんですよ、もちろん。だけどそんなことをお構いなしにしているのが、コメディである要素なんです。何よりも大切なのは親と子の絆です。そして伝染していく善です。人間の根っこはもしかしたら欲深い悪なのかもしれませんが、時折、善がひょっこり目を出したりします。だからこそ司法制度や個人的な感情が無罪である男の人権を奪ってはいけないんです。

 

この映画におけるイェスン役の少女は怪演でしたね。この子とリュ・スンリョンによって成り立った映画と言っても過言ではありません。

 

「老人と海」

スペンサー・トレイシー主演 ジョン・スタージェス監督

 

【あらすじ】

助手の少年もおりてしまった船で、ひとり老人は沖に出た。そこで老人は巨大なカジキと出くわす。

 

【感想】

面白いか面白くないかって言えば当然面白いんです。ヘミングウェイの傑作ですし。ただ、じゃあ映像として文学を超えたかっていうと個人的には疑問です。忠実に描いていたとは思うんですけども、どうしても原作を読んだものをそのままイメージにした感じです。いや、それどころか原作のほうがカジキとの死闘に迫力がありました。それに映像で勝負するなら、語りは本来不要なんです。それだったら原作で十分だ!と。ただ、文句は言っても、スペンサー・トレイシーの白熱の演技は見ものです。

 

老体になってしまった老人の体は、かつての栄光が薄れ、半身になってしまったカジキマグロと同じなんです。言ってしまえば自分との闘いなんです。何度も何度も諦めかけようとしましたが、それでもカジキも老人に応戦してくる。最後は結局第三者のサメがすべてを持って行ってしまい、気力を使い果たしてしまいましたが、それでも少年が再びいっしょにいてくれることで、「ライオンの夢」を見ることができました。

夢のライオン(野心or闘争心)、カジキマグロ(戦友)、サメ(敵)、少年(受け継ぎ生きていく意志)それぞれはこんな感じではないかな、と。

そして最後の旅行客はカジキだろうと、サメだろうと、何の骨であろうと無知で自然を知らない都会の人への皮肉だと思います。

 

「裏切りのサーカス」

ゲイリー・オールドマン コリン・ファース トム・ハーディ主演 トーマス・アルフレッドソン監督

 

【あらすじ】

東西冷戦下、イギリス機密情報部(通称サーカス)とソ連情報部は水面下で様々な情報戦を繰り広げていた。長年の作戦失敗や機密漏えいから、サーカスの長官コントロールは内部にスパイ「もぐら」がいると指摘した。「もぐら」の情報源と接触するために、サーカスのジム・プリドーをハンガリーに送り込むも失敗してしまう。責任をとってコントロールと彼の右腕だったジョージ・スマイリーは失脚してしまう。

 

【感想】

ゲイリー・オールドマンの渋さに惚れ、コリン・ファースの渋さにも惚れ、トム・ハーディの美しさに惚れ、ベネディクト・カンバーバッチの今見れば違和感のある金髪に惚れ、マーク・ストロングの「おまえプーチン(ソ連側)みたいな面してんな」とつっこんでしまった映画。

そして世の女性よ、歓喜せよ!

 

多分一度観て理解できる映画ではないです。どこにどういう伏線があって、ヒントがあったのか、二度や三度は観ないとわかりません。だから推理ものというよりも、絶妙な演出と演技、そして音楽を楽しむのでもいい映画です。

まあスパイ映画と訊くと、なんだか派手なアクションを期待してしまいますが、こちらは本物の諜報員のように、これといった小道具も使わず、地道な作業が多いです。

この映画は国家への忠誠か、それとも個人の感情か、を選択されているような映画です。常に誰かを裏切り、裏切られるような状況下で、どれだけ相手を愛することができるのか。

結局コリン・ファース演じるヘイドン。彼は「カーラ」の指示でジョージの妻に接近したり、同性愛の愛人であったブリドーを騙したり。意外性はなかったのですが、これで一層「カーラ」という大ボスの正体が気になってきます!

 

 

「サイド・エフェクト」

ジュード・ロウ ルーニー・マーラ主演 スティーブン・ソダーバーグ監督

 

【あらすじ】

うつ病を患っていたエミリーは、精神科医のバンクスが処方された新薬の副作用のために、夫を殺してしまう。医師として社会的信用を落してしまったバンクスは、エミリーの身辺を調査することに。

 

【感想】

 

精神科医のワトソン先生の患者はドラゴンタトゥーの女。

 

女の演技力怖いってなります。みんなジュード・ロウになります。髪の毛が、じゃないよ!

まあ、どんでん返しとかって言われると結構身構えるんで、割とエミリーが演技だな、っていうのはわかるんです。ただもしも、そうした前情報がなければ、エミリーの視点で映画は始まりますから、まるで彼女が被害者のように映ると思います。この映画のうまさはそこですね。

この映画は何も救われないんですよ。救われないっていうより、すっきりしない終わりなんです。なんていうか善人がいないというか、人間の意地汚さを見せつけられたというか。だからこそ誰にも感情移入できない。それが狙いなのかもしれませんが、映画が終わると、爽快感よりも不安な感情が残ります。これ、別に悪い意味で言ってるわけじゃないですよ。

もうね、みんな病んでるんですよ。というかウォール街も製薬会社も、妻も精神科医も、国も、みんな病んでる。病んでるからこそ、薬を求める。薬を投与すれば一時の安心を得られても、最後には強烈な副作用がある。「サイド・エフェクト」というタイトルは何重にも意味がとれるから、なかなかいいタイトル。

それにしてもジュード・ロウってかっこいいんだけど、こういう映画に出るとなんていうか地味な男性がすごく似合う。それなのに存在感があるし、まさに適役。

 

「スイミングプール」

シャーロット・ランプリング フランソワ・オゾン監督

 

【あらすじ】

人気作家のサラは創作に対する意欲がわかないでいたところ、編集長のすすめでフランスで生活をする。ある日、サラのもとに編集長の娘が転がり込む。静かな生活を壊されたサラだったが、次第に彼女と心を通わせていくことに。

 

【感想】

 

すごくミステリアスな映画だったんだけど、なんていうか、おっぱいの印象が強すぎて…。

 

正直なところデヴィッド・リンチ風味で好みといえば好みなんですけども、ただリンチを超えた、もしくは脅かす存在かと言われればそうでもない。確かにいろんな演出が工夫されていて興味深いけど、なんだかリンチの深みがない。

 

まずサラという中年の、どこか気だるい感じの女性と、ジュリーという魅惑的で奔放的な女性という、まったく対照的な女性が登場します。

さて初っ端からラストの解釈に移りますけど、そもそもジュリーという女性は存在したのか、どうか。個人的にはサラとジュリーは同一人物であり、本来サラが持っている、曝け出したい別の人格なのかもしれません。

ただし、いろいろと説明が難しくなることがあるんです。まずマルセルの娘の存在です。彼女はジュリーの母の死に対して酷く怯えていました。そして彼女はなぜ小人症で早老症でなくてはならなかったか?これが一番の疑問だったんです。はっきり言えば、僕もまだこの謎は解けていません。彼女は実在したのか?それともサラの空想の中の、何かしら象徴的なものなのか。

殆どが妄想だとするなら、その謎を解くカギのひとつは「マリファナ」です。彼女は服用していたのではないか、と。

いろいろ謎が多いんです。だから初見だと正直「?」というのが大多数の感想だと思います。また見返してみたい映画です。

 

 

author:トモヤムクン, category:-, 14:28
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小さな映画館 第105幕

 

「ハムレット」

「ルディ」

「インフェルノ」

「ゴーストライター」

「サスペリア」

 

「ハムレット」

ローレンス・オリヴィエ主演・監督

 

【あらすじ】

デンマーク王子ハムレットは、亡き先王であり、父の幽霊から、叔父であり現王のクローディアスによって毒殺されたことを告げられる。父の敵を討つために、ハムレットは復讐を誓う。

 

【感想】

 

最初目を疑ったよね。

オフィーリア役ジーン・シモンズ

地獄からオーフィリア

 

シェイクスピア原作なのは言うまでもありません。本当にこの作品は人間の心理をよく描いているんです。どんなに敬虔な信仰があろうとも、人間というのは欲深く、それでいて傲慢です。

ハムレットは敬愛する父の死に対して傷心していましたが、亡き父の亡霊に告げられた真実により、復讐の徒となります。とにかく復讐一辺倒になるのかと思えば、ここで重要な役割を果たすのは心の美しいオフィーリアという女性です。ハムレットの想い人でもありますが、彼の復讐の過程で彼女の大切なものを奪ってしまい、彼女すら壊してしまうのです。

復讐の道というのは結局のところ幸福で終わることはないんです。ハムレットは憎き叔父を殺すことができましたが、母を失い、恋人を失い、最後に残ったものは決して達成感や幸福などではありませんでした。

さてハムレットを演じたローレンス・オリヴィエですが、元々「ハムレット」の舞台をやっていたこともあり好演でしたね。何より原作に忠実ですから。

 

「ルディ」

ショーン・アスティン主演 デヴィッド・アンスポー監督

 

【あらすじ】

ルディは幼い頃からインディアナ州の名門大学ノートルダム大のフットボールチームに憧れていた。しかし生まれつき小柄なルディは熱意こそあったが、選手として不足であり、学業成績の悪さもあり、夢をあきらめる。ある日工場で爆発が起き、親友を亡くしたルディは再び夢に挑戦する。

 

【感想】

 

「今おまえに残されているものはなんじゃ!」

ルディ「仲間がいる”よ!!!」

 

いかにも90年代な映画なんですけども、なんだろうな、こういうストレートで熱い話って大好きなんです。

夢って必ず叶うものではありません。だけどそこに向ける努力を怠る人は、叶う夢さえ叶いません。努力、根性、なんてもう死語になっているのかもしれませんが、人間の情熱というのは、どこまでも人を揺り動かすのだと思います。

ルディは体格的なハンディがありながらも、誰よりもフットボールにかける熱がありました。しかし夢を追うということは、同時に様々なものを失うのだということ。ルディはまず貴重な時間を失いました。もしかしたら、フットボールや勉強にかけていた時間を使って別の幸せな人生があったかもしれません。そして彼女を失いました。幼い頃から付き合っている、信頼できる女性を。ルディはそれでも直向きに進んでいきました。

最後は試合に出させてもらかたちでしたが、あの場面は感動しますね。もちろん、監督としては大事なゲームですから。いくら努力家とはいえ、戦力にならなければ、使うことはできません。まあ、ここら辺は監督の妥協とみるのがいいかもしれませんね。

というか、まあ、映画だから実話とはいえ、ちょっと過剰な演出はありましたね。

 

夢はいろんな見方があるんですよ。アメフトの選手になるのも夢。選手になれなくても、未来の選手を育てるのもまた夢です。いろんなかたちがあっていいんじゃないでしょうか。

 

「インフェルノ」

トム・ハンクス フェリシティ・ジョーンズ主演 ロン・ハワード監督

 

【あらすじ】

ロバート・ラングドンは病室で目を覚ます。彼はここ数日間の記憶を失っていた。しかし彼は何者かに襲われる。医師のシエナとともに逃亡するが、彼の手にあったのはダンテの「煉獄(インフェルノ)」をモチーフにしたボッティチェリの「地獄の見取り図」が映し出されたポインターだった。やがてそれは人類の増加を阻止しようとするゾブリスト関係のものだと判明する。

 

【感想】

 

ジェダイに立ち向かうのは、WHO!

 

うーむ、すごく複雑に見せかけて、超シンプルな物語。そもそもシエナがラングドンを助ける理由がほとんどないのが、最初に彼女を疑う理由になるんです。だから、「ああ、絶対裏切るわ」と序盤から見えてしまっていたのが残念。

ダンテは何度か読んだことがありますが、結構日本人には理解しがたいんですよね。出てくる人物とか。ただダンテも若干必要か、と言われればそうでもない。確かに煉獄に陥っている世界を表現はしてるんだけども…。

ただね、敵の言うこともちょっとわかるんです。このまま人口が増加すると地球はいろいろと悲鳴があがります。資源も限りがあり、このままだと荒野になります。そうなると、確かに人類が生き残る方法ということとして、彼らがとろうとした決断もあるんです。

ただ、むやみやたらに人命を奪い取る権利は誰にもありません。それこそ煉獄に送られるような所業です。

 

「ゴーストライター」

ユアン・マクレガー主演 ロマン・ポランスキー監督

 

【あらすじ】

ゴーストライターをしている主人公は英国前首相ラングの自伝を書くことに。しかし前任者が残した資料をもとに、ある事実へ近づいていく。

 

【感想】

登場人物は極めて少ないので、ああ、こいつ怪しいわー、みたいなのは当然あります(笑)ただそうした人物が一体どんな役割を果てしているのか、というのがこの物語を楽しむ醍醐味です。

主人公はとにかくゴーストライターという設定を活かし、名前がありません。だからこそ、彼が最後死んだところで、ただひとりの男の死でしかないんです。

結構雰囲気も良くて面白かった半面、ちょっと詰めが甘いな、と。主人公の行動が用心深いようで、結構馬鹿正直。殆ど殺されにいくような行動ばかり。唯一フェリーから逃げたことくらい。

まあ妻が怪しいのは結構最初の段階からわかりやすかったです。出会いの話の矛盾もそうだけど、なんというかあのわざとらしい感じで出てくるあたりが。

それにしてもユアン・マクレガーはかっこいいですね。なんか、光る剣とか持ったら似合いそう

 

「サスペリア」

ジェシカ・ハーパー主演 ダリオ・アルジェント監督

 

【あらすじ】

 

この映画を観る前、なぜか「サスペンダー、サスペンダー…」と連呼していた自分

 

バレリーナ志望のスージーはドイツの学校へ入学する。激しい雨の中、彼女は何者かに追われて怯えているパットの姿を目撃する。「秘密のドア、アイリス、青いの」。その後パットは無残な姿で発見される。

レッスン初日、体調不良で倒れてしまったスージーは増血として葡萄酒を食事に加えられる。この葡萄酒を飲むと、いつも彼女は眠くなってしまう。順調にいっていた学園生活だが、次々と怪奇な現象が起きる。

 

【感想】

とにかく強調される「色」。「音」。つまり人間の視覚や聴覚に訴えるようなホラー映画です。

まあ今見てしまうと演出なんかは古臭い部分は否めませんが、その恐怖性は変わりません。次々と起こる怪奇な現象には惹きつけられるものがありますが、本当、鑑賞者も「?」なんです(笑)何がどうなってるのか、理解が追いつきませんが、それでも恐怖を演出する色や音はいいですね。

これ実はパート2に続くので、正直、魔女やいろいろな謎は解けません。だから物語の序章として観るならば、なかなかのものです。

author:トモヤムクン, category:-, 09:11
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小さな映画館 第104幕

「奇跡の人」

「別離」

「アメリカン・サイコ」

「花様年華」

「さらば青春の光」

 

「奇跡の人」

アン・バンクロフト パティ・デューク主演 アーサー・ペン監督作品

 

【あらすじ】

聴力、視力、言葉を失った少女ヘレン・ケラー。家族は彼女をうまく扱うことができずにいたとき、家庭教師としてアン・サリヴァンを雇う。彼女もまた弱視であったが、ヘレンの教育に熱心になる。その背景には彼女の亡くなった弟ジミーの影があった。

 

【感想】

原題は「The Miracle Worker」なんです。つまり「奇跡の人」というのはアン・サリヴァンのことを指しています。彼女もまた弱視で施設に入れられていました。弟ジミーもまた身体に障害がありましたが、姉弟は仲が良く、お互いに必要としていました。しかしそんなジミーが死んでしまったことでアンにはある種の強さと弱さを兼ね備えることになります。

まだまだ障害に対して寛容でいられる時代ではありません。家族はヘレンの行動が収まるのなら、好き勝手やらせていましたが、アンはそこに躾を施しました。

「現実を教えないほうがよっぽど哀れです。哀れみがなんの役に立ちますか?」

そうなんです。家族は現実から逃避し、簡単な「哀れ」という感情だけで過ごしてきました。

この映画のいいところは、家族がヘレンを見捨てず、時に心配してるところなんです。ヘレンはなんだかんだ家族の愛情を受けて育っているんです。

とにかくセリフなしで、ほぼノーカットだと思われるヘレンを躾するシーン。ここでのパティ・デュークとアン・バンクロフトの演技は本当にすごい!もちろん今やったら虐待なんだけども、アンのヘレンにかける熱意は相当なもの。

「この世のものは一瞬で消え去ってしまう。でも私たちは言葉という光を残せる。5000年昔の光も見えるわ。感じたことのすべて、知識も分けられる。だから誰だって闇には住んでいないのよ。言葉さえわかれば世界をあげられる」

 

アンはヘレンを実の子ではないため、本心から愛することはできません。だけどそれすらも隠さなければいけないときがあるのです。たしかにアンはヘレンを本心から愛することができなくても、家族からは本当の愛情をもらうことができます。

「Water」と発言したとき、初めて意思が通じ合う場面はいいですね。創作らしいですけど(笑)

この後もアンとヘレンの関係は続いていくわけですが、映画はそこで終わります。本当にふたりが通じ合った場面で。

ひとりじゃなくて、誰かがいることで光を見ることはできます。そういう人と巡り合えることも奇跡ですよね。

 

「別離」

レイラ・ハタミ主演 アスガル・ファルハーディー監督作品

 

【あらすじ】

ナデルとシミンは14年来の夫婦であったが、11歳の娘のために外国へ移住するかどうかで離婚の淵に立たされていた。ナデルはアルツハイマーの父親を置いていくことができず、シミンはもっと環境のいいところで娘を育てたいと考える。シミンは出ていき、ナデルは父親の介護のためにラジエーという敬虔な女性を雇うことに。彼女は幼い娘を連れてくるが、ある日、ナデルの父がベッドから転げ落ちている姿を発見する。激怒したナデルはラジエーを追い出すが、その際、彼女は流産したと訴え始めた。

 

【感想】

イランの映画は初めてかな?最初はペルシャ語とイスラム文化に少し戸惑いました。

家族、宗教、貧富。ここら辺を把握していないとなかなかわからない部分もあります。それでも普遍的なのは「人間」の葛藤を描いていることです。

どことなくミステリー仕立てにも見えますが、いろいろな視点で見ていくと、「階級差」や「宗教」が見えてきます。

まず階級差ですが、ナデルの家は中流家庭といっても、そこそこお金のある家です。人を雇えて、立派な家があるくらいですから。一方ラジエーは夫の失業と借金を背負っていて、どんな薄給であろうと働かなければ生きていけません。

そしてもうひとつ「宗教」です。「コーラン」は嘘を禁じています。これはキリスト教圏の聖書も同じなのですが、ここで顕著になったのはナデルは家族のためなら嘘をつくことは平気でした。しかしラジエーは家族の、娘のために嘘をつくことができませんでした。この違いです。

どんな完璧な宗教であると信じていても、家族やそのエゴが介入してくると途端に崩れていきます。結局のところ人間というのは完璧でいられないのです。みな、自分の道を進んでいこうとするのです。そして導かれるべき少女シミンはただただ彼らに翻弄されるしかありません。

しかし、そんなシミンが最後に自分の手で判断を下すのです。シミンが初めておとなになる瞬間かもしれません。

ラジエーの娘の視線もなんとも言えなかったですね。そんな彼女もそうした不条理な状況を思い出し、整理し、選択する日がきます。

 

「アメリカン・サイコ」

クリスチャン・ベール ウィレム・デフォー主演 メアリー・ハロン監督作品

 

【あらすじ】

ウォール街の投資会社P&Pの副社長、パトリック・ベイトマンは順風満帆なエリートビジネスマンであった。しかし一方で彼には嫉妬や欲求に苦しみ、快楽的な殺人をするようになっていく。

 

【感想】

 

昼は証券マン!夜は"バッド(Bad)"マンなサイコ野郎映画だぜ!(嘘)

 

80年代レーガン政権のアメリカ。パトリックは27歳にして副社長というポストを任され、優秀な人材として描かれています。常に健康に気を使います。しかしそれはあくまでパトリックという幻影を作るだけなのです。冒頭から語られているのは、つまりパトリック・ベイトマンはビジネスマンとして、自分を殺さないといけないのです。自分を殺し、外面だけを保って気ましたが、徐々に内部が壊れていきました。

そう「アメリカン・サイコ」と、なぜパトリック個人ではなく「アメリカ(人)の」とつけたのか。それはアメリカの都会人が抱える孤独と物質にとらわれた人間関係を描いているからです。

パトリックはまず仕事を失ったホームレスを殺しました。そこからポール・アレンというユダヤ人を殺してしまいます。このアレンはのちに重要になってきます。冒頭から名前の出てきたユダヤ人のポール・アレンは嫉妬と憎悪の対象でした。しかしベイトマンはあったこともない彼を擁護します。そして同席している彼らも結局ポール・アレンの顔を知りません。もしかしたらそんな人物いないのかもしれないのです。しかしパトリックはアレンを殺したと思い込んでいます。

次に娼婦の女性たちを殺していき、徐々に精神が崩壊していきます。その中でもジーンという「純粋」な心をもった秘書だけが、パトリックの苦悩に気づいてもらえる存在となりました。

 

この映画は最終的にどんでん返しのような、人によっては肩透かしを食らうような展開になっています。果たしてすべてはパトリックの妄想だったのか?それとも実際に殺しているのか?

実はいろいろ説はありそうなのですが、個人的に納得したのは、あるサイトで「無関心さ」が取り上げられていました。ホームレスや娼婦が死んだとして、確かにそれは一個人の死であり、悼むべきものなのですが、あの世界では名もない彼らの死は、都会の人々にとって何ら影響のあるものではありません。だからこそこのふたりの死は捜査もされず、パトリックは追及されなかったのではないかと思います。ただ警官殺しからの銃撃戦はさすがに妄想じゃないか、と。

そうした妄想と現実が入り混じったパトリックの精神は悲鳴をあげますが、誰もその悲鳴に気づくことがありません。社会や法律から制裁を受けるのこともなく、そのまま生きていかなければいけないのです。

なんともブラックなコメディ。そうして病んだ人々が次々と現れていき、本当に殺していくようになるんです。

最後のレーガンもちょっとした皮肉ですね。アメリカ再生と謳いながらも、彼自身嘘で真実を塗り固めていたと示唆するものです。

 

それにしても裸にチェーンソーを持って追いかけまわるクリスチャン・ベールはなかなか…。

 

「花様年華」

トニー・レオン マギー・チャン主演 ウォン・カーウァイ監督作品

 

【あらすじ】

1962年香港。ジャーナリストのチャウは妻とともにあるアパートへ引っ越す。同じ日にチャン夫婦が引っ越してきた。チヤウの妻とチャン夫人は夫があまり帰ってこず、ふたりはよくいっしょにいることに。お互いのパートナー同士が浮気をしていることに気づき、彼らもまた恋に落ちていく。

 

【感想】

淡い色で染められたような恋愛映画です。香港映画と聞くと、なんだかアクションやカンフーのイメージになりますが、この映画はとにかく淡々としていて、静かな映画です。それでいて登場人物の中には愛と哀が混じり合っているような感じですね。ちなみにセックスやキスシーンはないんです。最初それが意外でした。こういう不倫をテーマにした話って、濃厚なラブロマンスが必須だと思っていたのですが、この映画は秘めた想いの盛り上がりが素晴らしかったです。

物語はまるでチャウの描く小説のように進んでいきます。

さてこの映画の最大の謎は、なぜ最後にアンコールワットで終わったかということです。あそこでチヤウは自分たちの秘密を永遠に隠したのではないか、と。

 

 

「さらば青春の光」

フィル・ダニエルズ主演 フランク・ロッダム監督作品

 

【あらすじ】

60年代ロンドン。ダンスやパーティ、アンフェタミン、ロッカーズたちとのけんかで仕事を失い、家から追い出されたジミーを通して、モッズの青年たちのライフスタイルに迫る。

 

【感想】

ザ・フーの名盤「四重人格」を原作にしている今作。

若者のフラストレーションというのはいつの時代の人でも、多かれ少なかれ共感するのではないでしょうか。無気力さから解放されるためにはちゃめちゃなことをして、とにかく夢中になれるものを探す。

ジミーは一般的な家庭に育ちながらも「まともってなんなのさ」「人と同じはまっぴらさ」という信条で、ロックに熱中し、薬にパーティ、アルコール、バイクとスリリングな生活を送ります。それでいて普段は郵便の、ほとんどバイトのような生活で、いろいろな人間から下に見られる存在です。

ある日ジミーはステフに恋をします。そのあとはなかなかうまくいくのですが、結局のところ、ロッカーズとの暴動においてどんどん転落していきます。憧れていたもの、輝いていたものがすべて崩壊するわけです。スティング演じるエースは結局ベルボーイという、他人に使われる男でした。ジミーは愛したバイクさえ、最後は崖の上から捨ててしまいます。結局はそのままではいられないのです。どこかでそうした生活から脱しなければいけない日がくるのです。ジミーはそうした現実を突き付けられ、自分が置いて行かれていることに焦燥感と苛立ちを覚えたのです。

わかりますよー。いつまでもやりたいことをやるだけの生活なんてできません。ジミーだって結局は扶養生活だったからこそはちゃめちゃできたわけですから。

この物語の興味深いところは、そうした現実を突き付けられたジミーのその後が描かれていなことです。つまり結局自堕落なままでいたのか、それともまっとうに働き出したのかはわかりません。けどこれは鑑賞者自身にあてはめられたことじゃないかな、と。自分だったらその後どうするか、と。青春が去った後の自分、どうするでしょう?

author:トモヤムクン, category:-, 09:06
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小さな映画館 第103幕

「ストレイト・アウタ・コンプトン」

「ロリータ」

「ドッグヴィル」

「勝手にしやがれ」

「戦争と平和」

 

「ストレイト・アウタ・コンプトン」

ジェイソン・ミッチェル主演 F・ゲイリー・グレイ監督作品

 

【あらすじ】

1986年、治安の悪いカリフォルニア州コンプトンでドラッグの売人をしていたイージーは、ドクター・ドレーから自分たちのヒップホップに投資しないか、と持ち掛けられる。アイス・キューブたちとともにN.W.Aというグループを結成し、アルバムを発表すると瞬く間に大ヒットし、社会現象を巻き起こす。しかし「Fuck the Police」などの過激な歌詞からFBIや警察ににらまれることに。彼らは意に介せずにいたが、徐々に契約の関係でメンバーの仲がこじれていく。

 

【感想】

僕自身、ブラックミュージックを聴くまで、ラップやヒップホップの類は苦手でした。しかしこのN.W.Aはとにかくかっこいい!ひとりひとりの個性が際立っていて、例え英語がわからなかったとしても伝わる魅力があります。

そんな伝説的なグループN.W.Aは常に治安の悪い街コンプトンと、黒人を迫害しようとする警察官に対する主張を訴えています。まさかここまで警察官による横暴があったのには絶句でした。ただ彼らがそうした不当な暴力に対し、暴力で返すのではなく、ラップという表現で示したことは、やはり大きな意義があると思います。N.W.Aは多くの人々から支持されましたが、その成功は「金」という人間の欲望をつついてしまい、メンバーの関係が悪化していきました。

NWAを脱退し自らの道を歩むアイス・キューブ、プロデューサーとしての才能を開花させスヌープ・ドッグや2パックをスターに押し上げていくドクター・ドレー、そしてNWAとジェリーについていきながらも、どんどん落ちぶれていき、孤独になっていくイージー・E。

三者三様の人生がありながら、成功という大きな成果に惑わされてきました。

彼らは成功者とはいえ決して聖人ではありません。しかし彼らの人格を責めることはできないんです。

イージー・Eは本当に純粋な人なんだな、というのが感想です。金にも性にも人にも素直で、だから暴力もふるってしまうし、裏切られると人一倍傷つく。だからといってジェリーが悪人というわけではありません。彼はあくまでビジネスマンです。グループを成功させ、存続させていくためには、例え汚いことでもしなければいけないのです。難しいですね。

イージーは最後の最後、アイス・キューブ、ドクター・ドレーと和解し、再び純粋な音楽を作っていこうとした矢先の死でした。もし再結成していたら、どんな音楽が聴けたんでしょうか。アイス・キューブとドクター・ドレーはコーチェラやロックの殿堂などで共演していますが、N.W.Aの曲は披露していません。これはイージーがいてこそ、ということなんでしょうか?

 

「ロリータ」

ジェームズ・メイソン スー・リオン主演 スタンリー・キューブリック監督作品

 

【あらすじ】

キルティという男を射殺したハンバートは、少女ドローレス・ヘイズ、通称ロリータとの思い出を振り返る。

 

【感想】

今でこそ「ロリコン」なんて言いますけど、その名称の元ネタを知らない人は多いと思います。ロシア人であり、アメリカの作家ウラジミール・ナボコフの傑作「ロリータ」が元になっています。少女(原作ではニンフェット)を愛し、独占欲を満たそうとするハンバートの性的倒錯に対し、第三者たちがそうした少女に対する性愛をもつ人たちのことを「ロリータ・コンプレックス」と呼称するようになりました。もちろんナボコフ自身は原作の中で十分なハンバートの精神分析をしているわけですから、これには少し反対だったのかもしれませんが。

 

ロリータにとってハンバートに対する感情は明らかに「父性」です。母親を憎むあたりも同じですね。愛する「父」を奪われたくない、という本能からくるものです。これはフロイトが提唱したエディプス・コンプレックスですね。

「ロリータのはかない夢見るような子どもっぽさ。そしてある種の不快な卑猥さ」

原作ではもうちょっとハンバートの心理を掘り下げているんです。幼い頃に出会った少女の死が影響していて、永遠の少女性を求めるようになったりと。言ってしまえば、少女は永遠に少女でいられないわけです。誰もが平等に年老いていく。年老いていくと男女問わず醜くなっていきます。だからこそハンバートはロリータの行動を制限し、自分の手元に置いておこうとしました。

 

映画版のハンバートはジェームズ・メイソンの怪演もあって、哀愁と狂気に満ちた姿が描かれています。キューブリックはわざと深刻なシーンであっても陽気なBGMをかけることによって、彼の行動を滑稽にしていますね。

原作でのロリータは映画版よりももっと若いです。12歳くらいの、本当に無邪気な少女の姿で出てきます。まあ、これを映画でやってしまったらいろいろ苦情が来るとしてキューブリックもエロティックな面は描けなかったようですが。

でもロリータにとってハンバートの存在は恐ろしいものですよ。最初は母に反抗するかたちの「父性」だったのが、母を失ったことで、本当は保護者的な「父性」が必要だったはずなのに、ハンバートはまるで彼女を「人形(もの)」のように扱い、強引に関係を持たされてしまったわけですから(映画ではさすがに描かれてはいません)。

原作ではハンバートの日記としたかたちをとって物語が進みます。つまり、愛しいロリータの、一番輝いていた時期を「日記」という半永久的なものに閉じ込めたわけです。

 

そういえばロリータ役のスー・リオンって誰かに似てるな、と思ったら、クロエだ。

 

「ドッグヴィル」

ニコール・キッドマン主演 ラース・フォン・トリアー監督作品

 

【あらすじ】

大恐慌時代のアメリカ、ロッキー山脈の廃れた鉱山の町ドッグヴィル。医者の息子で作家を志すトム。彼は道徳を重んじるあまり、村の人々に説教をしていた。そんなとき、ギャングに追われていた女性グレイスを匿うことに美徳を感じた。町の人々は当初よそ者のグレイスに対して猜疑心を持っていたが、彼女の真摯な姿勢に態度を軟化させていく。しかし徐々に彼女に対する態度はエゴのかたまりになっていく。

 

【感想】

舞台セットを極力排除したような、斬新な設定にまず驚きました。しかし役者たちの演技を見て、まるでそこにドッグヴィルがあるように錯覚してしまいます。そしてその見えない町こそがドッグヴィルの醜悪さを顕著にしています。

ドッグヴィルという村は正直「日本」として観ることができます。日本もまた個人主義よりも協調を重んじ、民主主義でありながらも他人の顔色をうかがいます。この村も同じで、言ってしまえば変革を嫌う保守的な人たちなんです。そこは「都会」の人たちとの対比ですね。

グレースは村に変革をもたらす人物として登場します。

道徳に執着するトムにとって「他社への寛容さ」を試すいい存在となりました。他社を受け入れることで、寛容な心を示すということです。グレースも最初こそ訝し気に見られていましたが、彼女のひたむきな姿に次第に村人の心もほぐれていきました。

しかし、これがまたひとつの罠なんです。いい面を見せた反動はあまりにも大きく、つまり裏切られたと思ったときの憎しみはいい面を現したときの倍で返ってくるのです。

ドッグヴィルは貧しく、豊かではありません。だからこそ人々はほそぼそと自分たちのコミュニティ、現状を維持することだけで精一杯だったんです。だからこそ彼らは「弱さ」の反動から、暴力的な一面を見せてしまいます。

 

グレースもまた人間の「善」を信じる女性でした。ただしそれは「か弱い」といった、ある意味同情や憐れみを含みます。ドッグヴィルという人間の根源が「欲」や「弱さ」であることに失望した彼女は、「最善」のために村人を殺すという究極の選択をしました。

 

権力を持たない人間は醜悪さと罪悪感を織り交ぜながら、非道なことを行いますが、権力を持った人間は醜悪さや罪悪感とは無縁の、いってしまえばある意味で高潔な非道さを見せます。

本当に人間の「エゴ」という部分を考えさせる傑作映画です。

 

それにしてもニコール・キッドマンは美しいですね。おしりぶたられる少年の気持ちが理解できt

 

 

「勝手にしやがれ」

ジャン=ポール・ベルモンド主演 ジャン=リュック・ゴダール監督作品

 

【あらすじ】

ハンフリー・ボガートを崇めるミシェルはマルセイユで自動車を盗み、挙句警官を殺してしまう。アメリカ人の恋人パトリシアと行動を共にするが

 

【感想】

ゴダールの世界観って本当に好き嫌いがわかれると思うんです。まるでナンセンスなオシャレな会話を楽しむのもありだし、当時では斬新な映像を楽しむのもあり。絵画のように各々の楽しみ方で観ることができます。

この映画はフランス人のハンフリー・ボガートに憧れた男と、アメリカ人の女の話です。殺人を犯して起きながら、ミシェルはひたすらパトリシアと寝ることを考えます。パトリシアもそこに愛があるのか確信が持てず、彼と寝てみたりするんです。話はといえばそんな感じ。

セックスっていうのは相手がいないと成立しません。それは愛の行為でもあれば、ただひたすら欲求を追い求める行為でもあり、生と死を実感する行為でもあります。ミシェルの場合はただ欲求に従ってる感じです。一方パトリシアは肌を重ねることで愛を求めました。しかし相手を見つめても、寝ても、彼からの愛は確認できず、結局は密告という手段に出ました。

そう目を閉じればひとり。結局のところみんな孤独なんです。孤独であるが故に相手を求めますが、そこに「愛」が絡んでしまうとまた別の意味となってしまいます。パトリシアはその「愛」を求めましたが、ミシェルが拒んでしまったことで、彼は再び「殺人犯」に戻ってしまいました。

それにしてもゴダールは会話がオシャレですよね。噛み合ってないようで、まるでポエミーな会話。

「悲しむのは妥協だ。すべては無か」

「エロチシズムは愛の一形態」「フランス人は腰抜け」

「あんたを愛してるかどうか確かめたくて寝たの」

「幸福な愛はないというが、どうやら逆のようだ」

「複雑ね」

「不幸な愛すらないんだ」

 

「戦争と平和」

オードリー・ヘップバーン ヘンリー・フォンダ メル・ファーラー主演 キング・ヴィダー監督作品

 

【あらすじ】

ロシアはフランス・ナポレオンの追撃におびえていた。莫大な座員を引き継いだピエールは望まない結婚をして過ごしていた。友人のアンドレイは天真爛漫な女性ナターシャと恋に落ちる。しかし戦況は変わっていき、アンドレイは戦争へ。気弱で反戦的なピエールもまた戦地へ赴き、人生観が変わっていく。

 

【感想】

言わずと知れたトルストイの名作をハリウッドによって映画化したものです。原作はかなり重厚なのですが、この映画は簡潔に、しかし重要な個所をきちんと映像化してあります。

基本的にはピエールとナターシャ、ふたりの人生がナポレオンの脅威におびえる戦争の中で、いかに遠のき、接近したかが中心です。

19世紀の小説って本当にナポレオンが多く登場するんです。フランスの小説、例えば「赤と黒」や「モンテ・クリスト伯」などではナポレオンは英雄として出てきますが、やはり敵対していたロシアの小説では強大な敵として表現されます。それでいてトルストイはロシアの皇帝とナポレオンを比較するように描いています。もしかしたらトルストイもナポレオンの側の人間だったのかもしれません。

さて映画のほうですが、ナターシャは完璧です。ただもうちょっと儚げな印象が個人的にはありました。そしてもうひとりの主役ピエール。僕の中ではこんなにイケメンではなかったです(笑)アンドレはイメージ通りです。

 

さて登場人物ですがピエールは本来は戦争に向かないタイプの人間です。人間の弱さを知っていて、それでいて悩んでいます。父に愛されていないと思っていたら、莫大な遺産を遺され、したくもない結婚をし、挙句妻には不貞を働かれ、決闘を申し込み、相手に重症を負わしてしまい、自分の弱さに苦悩するほどです。

対照的にナターシャは恋に人生に自由に生きていこうとする魅力をもった女性です。

そしてアンドレイ。「堕落した女でも許す」と考えていたアンドレイですが、ナターシャの不貞を知り、争いの嫌いなピエールが駆け付けた時、人が変わっていました。それもすべて「戦争」が彼を変えてしまったのです。

 

やはりというべき、原作のあの重厚さには敵いませんでした。ピエールやナターシャの苦悩は原作のほうが素晴らしいです。何よりピエールがナターシャに対する告白したシーンは個人的に好きだったんですけどね。ちょっと陳腐なメロドラマになってしまったのが残念でした。

author:トモヤムクン, category:-, 11:20
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