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小さな映画館 第59幕
「最後の誘惑」
「八日目の蝉」
「続・荒野の用心棒」
「ボーン・スプレマシー」
「Mr.インクレディブル」

「最後の誘惑」
ウィレム・デフォー主演、マーティン・スコセッシ監督作品。

【あらすじ】
紀元前1世紀のパレスチナ。神への到達を目指すナザレのイエスだが、十字架にはりつけられてしまう。そんなイエスのもとに天使がやって来る。

【感想】
最初に言っておくと僕は無宗教な人間です。それでも仏教であったり、キリスト教であったり、神道であったりとそうした信仰のあるものには関心があります。キリスト教も大学の授業で受講し、聖書も精読したことはなく、概要だけを知っているに過ぎず、知識という知識はまったくありませんでした。それなのにも関わらず、昔遠藤周作の「イエスの生涯」を読み、奇跡など起こさない、人間としての、精神的な「愛」を唱えるイエス・キリスト像にいたく共感した記憶があります。そして僕にとってこの映画もまた、新たなイエス・キリスト像を与えてくれました。
この映画には賛否両論でしょう。特に熱心なキリスト教徒の方からしたら、侮辱的なものと感じるのかもしれません(だからこそ上映中止になったところもあったのですが)。しかし幸か不幸かは別問題として、日本人にとってはキリスト教、元いイエスに対して思うところというのは欧米とははっきり違います。異国の文化なのです。今でこそキリスト教徒の方をよく見掛けますが、それでも日本の文化としては根付いていません。だからこそ、日本人としての感覚で、第三者としての視点で観ることのできる映画です。僕は上記にあるように聖書を精読しておらず、この映画の何割理解できたかはわかりません。しかしそれでも様々な視点で観ることができました。
この映画ははっきり言っておきますと、ラスト30分が醍醐味です。じゃあそれ以外は不要なのかと言われると、そうではありません。その30分の為に必要な部分と言って差し支えないです。約2時間をかけてイエスの葛藤、奇跡、弟子達との対話が描かれます。「愛」を説き、時には「斧」を持ち、そして「死」を考える。神に従順であったイエスは十字架にかけられます。そんな時に現れた天使が今までの苦痛は神からの試練だったと告げられ、一人の人間としてイエスは生きることになります。ここからが聖書と違う部分で、物議を醸し出したシーンです。イエスはマグダラのマリアと愛を重ねるも、マグダラのマリアは神によって殺されてしまいます。この時初めてイエスは神に対して怒りを感じます。しかしもう一人のマリアを愛するように言われ、イエスはその通りにし、ごく普通の生活を送り、そして老いていきます。そんな時自身がメシアであることを否定した、老いたイエスが出会ったのは「救済者イエス・キリスト」の伝道師となっていたパウロです。ここは何とも皮肉なシーンでした。イエスの思いとはかけ離れたものが彼の中で出来上がっていました。そしてイエス自身がキリスト教の基礎となる文言を否定します。ここら辺は色々考えさせられるものがありました。思えば福音書はあくまでイエスの言葉をまとめた弟子達の書なんですよね。だからこそイエスの真意というのは完全に汲み取られているとは限らないわけです。
そして老いて、死の床にいるイエスの元へやって来たのはユダでした。昔からユダというのは裏切り者だ、という知識だけで植え付けられてきましたが、この映画でのユダはイエスの一番の理解者であり、一番愛していた人物として描かれています。イエスもまたユダにだけ神との秘め事を話したり、その後を告げたりしていました。しかしイエスは大衆の救済より、自身の幸福を選んでしまった事に対し老いたユダは憤りと悲しみと失望を抱えていました。そして興味深いことにここではユダがイエスに対し「裏切り者」という言葉を放ちます。もしかしたらこうした聖書に書かれているユダ像と対照的だからこそ、物議があったのかもしれませんね。
イエスは自身の最後の誘惑であった「神の子」ではない「普通の人間」であることを辞め、「神の子イエス」としての最期を選びます。十字架にはりつけられたイエスの笑顔が示した答えとは何だったのでしょうか。自己の救済なのか、それとも他者の救済の為なのか。
無宗教で聖書を精読していない自分にはあまりにも途方もなく、答えは出ません(苦笑)しかしこの映画は心に残る映画でした。

「八日目の蝉」
井上真央、小池栄子、永作博美主演、成島出監督作品。

【あらすじ】
今日まで母親だと思っていた人が、自分を誘拐した犯人だった。1985年に起こったある誘拐事件。

【感想】
角田光代さんの小説は幾つか読んだことはあるのですが、この作品は未読でした。だからこの映画で初見となります。久々に感情を揺さぶる、良質な映画でした。サスペンスのカテゴリーにあった為、それを期待してしまうと肩すかしを食らうかもしれませんが、母性としての愛情、血の繋がらない親子の愛と悲しみの物語でした。
子どもは親を選べません。しかし反対に親というのは子どもの親権を、乱暴な言い方をすれば棄ててしまうことはできます。つまり子どもを育てるのも、放棄するのもすべて意思なんです。子どもはその決定事項に身を委ねるしかないんです。
希和子は倫理的にも人間としても誤った道を選択しました。しかしこの本物の親子でない二人でも、確かに「愛」は本物でした。希和子の視点というのもあるのですが、だからこそ彼女に対しては怒りよりも、まず先に悲哀の感情が沸いてきます。不倫相手との繋がりが絶たれた希和子にとって、薫は誰よりも愛情を注げる存在となってしまい、彼女は薫の為に自己犠牲の精神で育て、関係を保とうとしました。皮肉にも実の両親は赤ん坊を家に置き去りにし、ましてや鍵を閉めずに出ていくという不用心さから、我が子に対する愛情は希和子よりも薄かったのではないかと思われる。しかし母親は子どもと成長していく。だからこそ、その権利を奪われた実の母親は母親としての役割に戸惑い、精神的に疲弊してしまっていた。何よりも希和子のほうが母親としての愛情が勝っていたからです。何とも皮肉な話です。
ただ難点というわけでは決してありませんが、非常に女性らしい観点からの映画だったな、と。監督は男性なのですが、やはり女性作家ならではの「女性像」でした。男が描くような極端な美しさも、癒しもありません。
それにしても個人的には小池栄子の演技に惚れ惚れしました。セクシーな役柄で彼女を観ることが多かったので、こうした純粋無垢な、そして心の底から怯えている演技は新鮮なものがありました。井上真央の気怠い雰囲気も良かったですね。永作博美は言わずもがなですが、薫にたいする母性溢れる表情はまさに「本物」でした。
本当、役者を揃えてくれた映画でした。

「続・荒野の用心棒」
フランコ・ネロ主演、セルジオ・コルブッチ監督作品。

【あらすじ】
棺桶を引き摺って現れた謎のガンマン・ジャンゴが、元南軍の残党一味やメキシコ反乱軍のならず者を相手に大銃撃戦を繰り広げる。

【感想】
正直に申し上げましょう、タイトルだけ見て借り、イーストウッドがおらず、尚かつ流暢なイタリア語で会話しているシーンを見て「あっ」となりました(笑)一体何なんだ、この邦題は!いくらなんでも酷すぎるでしょ!(笑)ただそうした事を抜きにして観てみると、なかなか面白い映画でした。というよりフランコ・ネロが演じる、ニヒリストなガンマンのジャンゴが格好良かったですね。僕がもしも60年代で過ごし、この映画を観ていたなら、街中で棺桶を引き摺って過ごしていたかもしれません(笑)いや、それくらい影響力があるということです。ジャンゴはひたすら強いのですが、終盤で両手を潰されてしまいます。そのシーンは何とも見るに堪えがたいシーンでしたね。しかし両手の使えない彼が最後に放った銃撃は見事なものでした。
男の哀愁という点では「荒野の用心棒」よりはこちらのほうがあるかもしれません。

「ボーン・スプレマシー」
マット・デイモン主演、ポール・グリーングラス監督作品。

【あらすじ】
CIA時代の記憶は戻らないが、殺人兵器として訓練された本能は忘れていないボーン。恋人ともにインドに潜んでいたが、何者かに追われることに。

【感想】
さあボーンシリーズも2作目。1作目ではボーンとは一体何者なのか、ということが主題でそうしたミステリーを解いていくものでしたが、今回はバリバリにアクションものになっています。とにかくボーンの強いこと。そして頭が切れる。最初のほうでまさか前作の恋人があんなにもあっさりとは退場すると思っていませんでしたが、愛する人を失ったことで終盤に繋がっていきます。
さて、アクションものって結構感想書きにくいんですよね(笑)映像で観た感動というのは活字にし辛いです。あの躍動感をどう表現したら良いのか、自分にもっと語彙力が欲しいところです。さあ、次作を借りに行こう。

「Mr.インクレディブル」

【あらすじ】
かつてスーパー・ヒーローが活躍していた時代があった。しかし彼らのパワーは時に破壊をまねくこともしばしばで、やがて活動を禁止された。それから15年、今はしがない保険会社の一社員として働くボブは妻子と暮らしていた。ある日ヒーローとしての仕事が密かに舞い込んでくる。

【感想】
テレビで放映していたりしていましたが、実はきちんとフルで観たことがなかったんですよね(※基本的にテレビで放映される場合はカットされる箇所があります)。ようやくフルで観たわけですが、とにかく面白かった。まさにアメリカンなヒーロー達。子ども向けのようでいて、大人でも楽しめる、なかなか希有な作品ですよ。とにかくアクションシーンが凄い。もうCGなんだけど、CGじゃないような、妙な感動を覚えます。
基本的に英雄、家族、社会情勢など、実にアメリカらしい映画です。正義に相反する悪は完全に綺麗なものではありません。とにかくエゴの塊。そして淡々と語られていますがヒーロー達の死というのも色々と衝撃的でした。自分を誇示する為に殺していく手口は、明るい色彩と相まって、妙な恐ろしさを感じます。
続編が制作中という噂ですが、絶対に観に行きますよ。
author:トモヤムクン, category:映画, 21:36
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小さな映画館 第58幕
「シャイニング」
「市民ケーン」
「チャイナ・ムーン」
「めまい」
「ダーティーハリー3」

 「シャイニング」
ジャック・ニコルソン主演、スタンリー・キューブリック監督作品。

【あらすじ】
雪に閉ざされたロッキー山上のホテルに、管理人としてやって来た小説家とその家族。しかしそのホテルは前任者が家族を殺し、自殺するという呪われた過去があった。

【感想】
この有名な作品には143分版と119分版があるのですが、どうやら僕は後者を借りてしまったようです。しかしそれでも存分にキューブリックの独特の色彩を堪能できました。
山上に佇む、曰く付きのホテルに管理人としてやって来る家族。息子のダニーはシャイニングという特殊な能力を有していて、その力を欲する悪霊達が、父親としての責任、そして仕事上の精神的なトラブルに悩まされているジャックを唆します。それもたった一杯のビールに自分の魂を売ってしまいます。ビールや性欲からジャックがどれだけ精神的に追い込まれていたかがわかりますね。しかしこうしたジャックの暴力性というのは潜在的なものです。過去にアルコールのせいで息子の腕の骨を折ってしまったとあるように、元々暴力的な一面があります。
ただこれは映画らしい想像の余地を残してくれていますね。それというのもこれを悪霊が本当にいてシャイニングという能力があったという前提とそもそもそんなものはなく、ジャックの被害妄想であるという前提です。僕は一応後者を支持します。根拠としては薄いですが、彼が「小説家」というのが一つのネックだと思っています。小説家という、所謂想像を働かせる職業である為、精神的に追い込まれた彼が幻想を観たと推測をしています。ダニーのことも父親から、そして孤独から逃れる為の妄想だとも言えます。
ただですね、この説でいくと、最後の写真が説明できないんです。悪霊達の仲間入りしたと考えるのなら、やはり悪霊がいたということになります。いない場合説明ができません。
よし。いる説にします(笑)
でも人間の潜在的な恐さをひしひしと感じる作品でした。

「市民ケーン」
オーソン・ウェルズ主演、監督作品。

【あらすじ】
一代で全米最大の富を築いた新聞王のケーンの反省を回想形式で描く。

【感想】
正直な話をしますと、タイトルを観て何だこりゃ、と思っていました。「市民権」を大袈裟に煽ったタイトルだと思っていたら、市民のケーン(名前)だったんですね。
ケーンは大富豪ですが、とにかく埋められない孤独を抱えています。親に捨てられ、友とは袂を分かち、妻には去られ、世間からは見放され、愛した人には見限られ、そして残ったのは何かを埋めるように集められているガラクタだけ。ケーンはありとあらゆる「物」、金で買える物は集めることはできました。しかし最後まで人の「心」を買うことまではできませんでした。これは愛情の欠如だと思います。愛情を与えられることを知らないケーンにとって、愛情を与えることは至難なんですよね。
「薔薇のつぼみ」という言葉がキーとなるこの映画ですが、一体その意味とは何だったのでしょう。最後のシーンで子どもの頃に遊んでいたソリに「薔薇のつぼみ」と書かれています。子どもの頃に、あの時代がなければこんなことにならなかったという後悔か、それとも愛した女性は花が咲かないまま去っていくという意味なのか。それとも新聞記者の言うようにただのパズルのピースなのか。しかしはっきりと答えがでないからこそ、良い余韻を残してくれました。

「チャイナ・ムーン」
エド・ハリス、マデリーン・ストー主演、ジョン・ベイリー監督作品。

【あらすじ】
美しい人妻レイチェルは、ふとしたきっかけで刑事カイルと出会い、二人は恋に落ちた。夫の暴力に悩んでいたレイチェルはある日夫を殺してしまう。動転したレイチェルはカイルに助けを求めるのだった。

【感想】
うーん、正直なところ個人的には微妙でした。何と言うか非常に陳腐な作品でした。犯人と言っても、劇中ではかなり絞られ、必然的に相棒になってしまいます。レイチェルが悪人だというミスリードが強すぎて、彼女が犯人ではないし、犯人であってもかなりのどんでん返しが必要だな、と。ただ最後のレイチェルが拳銃を撃つシーンは好きですね。敢えて犯人を映さず、彼女が銃撃する表情だけを映していたのは良かったです。

「めまい」
ジェームズ・スチュアート主演、アルフレッド・ヒッチコック監督作品。

【あらすじ】
旧友から妻の監視を頼まれた元刑事は、彼女を飛び降り自殺から救うことができなかった。失意の日々を送る彼はある日、彼女そっくりの女性と出会う。

【感想】
ヒッチコックの作品は幾つか観たことがありますが、これは初めて観ました。有名なんですけど、全然観てこなかったんですよね。
凄く個人的な話になりますが、僕も高所恐怖症です。例えばビルの窓から顔を出したとします。すると全身の血が引いて、気が遠くなっていくんです。殆どめまいと同じ症状なんですよね。だからこそ高所恐怖症でのめまいには説得力があります。
さてさてこの映画では色々「落ちる」ということが関係しています。まずは高い所から地上への落下です。これは主人公のトラウマでもありますし、殺人にも使用されています。そして次に「恋」に落ちるということです。おいおい、変なダジャレを言うなよ、と思われるかもしれませんが、これって結構重要なんですよ。というのも僕はこの映画をサスペンスというよりもロマンス映画として観ていました。スコッティもジュディも恋に落ち、それから運命の歯車がおかしくなっていくのです。
正直なところ粗は多いです。ストーリーとしても作りが少々いただけない部分もありますが、どんどん狂気に駆られていくスコッティと無関心が捨て身の愛へと変わっていくジュディは見所です。

「ダーティハリー3」
クリント・イーストウッド主演、ジェイムス・ファーゴ監督作品。

【あらすじ】
サンフランシスコの殺人課刑事ハリーは、女刑事ムーアと組み、市長誘拐の過激派のグループに挑む。

【感想】
相変わらずハリーはハードボイルドで格好いいんですけど、「3」は全体的に作りが粗いです。権力や虚栄、人種差別、女性の社会進出、宗教問題、銃の問題と色々盛り込んではいるんですが、どうもそれをうまく生かし切れてない。特に今回の相棒ムーア刑事はもっと掘り下げていけば輝くと思うんですけど、刑事としてもヒロインとしても中途半端な立ち位置になってしまい、キャラクターが薄いまま退場してしまいました。そして今回の犯人も特に思想を掲げるわけでもなく、スコルピオのように純粋悪でもない。しかも最後はあまりに呆気なかった。
ハリーも「泣けるぜ」と連呼し、若干コミカルでしたね。別にこれは悪いわけではないのですが。
ところでハリーは正義でしょうか?悪でしょうか?これは観る人の立ち位置によって違うのかもしれません。前作、前々作「一応」法のもとでの正義の執行としています。しかし敵意を向ける者に拳銃を向けるのは果たして正義なのか。ある意味で銃社会の闇でもあるんですよね。僕はハリーの行動を決して否定しません。ハリーというアウトローなヒーローという立場から色々考えさせられるものがあります。
author:トモヤムクン, category:映画, 21:08
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小さな映画館 第57幕
「JFK」
「ザ・ハリケーン」
「息もできない」
「リベリオン-反逆者-」
「アザーズ」

「JFK」
ケヴィン・コスナー主演、オリバー・ストーン監督作品。

【あらすじ】
ニューオリンズの熱血地方検事ギャリソンは、ケネディ大統領暗殺というアメリカ社会の基盤を揺るがす事件の解明に取り組んだ。ウォーレン委員会の報告には疑問がある。ギャリソンは法廷での解明を目指すが・・・・。

【感想】
ケネディの有名な言葉に「Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country(国があなた達に何をしてくれるのかではなく、あなた達が国のために何ができるのかを考えてほしい)」という言葉があります。この言葉は僕も好きで、この言葉はずばり民主主義の本質を説いています。
この映画は200分以上という長尺ながら、緊張感を持たせ、視聴者に国のあり方とは、国民のあり方とはと常に問うており、飽きることなく観ることが出来ました。未だにケネディ暗殺には諸説あります。現在ではオズワルド単独犯説は基本的に否定はされていますが、パブリックの、それこそ報道機関であったり、政府は沈黙を貫いています。
さて映画の冒頭からケネディに対する賛否がありましたね。英雄と評する人もいれば、その反対のことを言う人もいました。冒頭からケネディというのは絶対的な正義ではなく、そこには勿論ケネディの否定はがいたことを示しています。劇中ケネディ否定派は、なぜ殺されたのか?との問いに、それは黒人に権利を与え、甘やかし、コミュニスト(共産主義者)だったからさ、という答えをだしています。コミュニストの問題はマッカーシズムがあったように、アメリカでは根強い問題なんですよね。
ケネディが暗殺され、即座にオズワルドという男が捕まりました。世間は憎き相手として彼に対して罵ります。特に支持者が多かった黒人が顕著でしたね。政府も国民もすべてオズワルドの犯行だと納得していた時に、一人の地方検事が疑問を呈します。彼が疑問を投げ掛けたことにより、世間では波紋を呼びます。それらのシーンでは政府の圧力が露骨に描かれてましたね。一つ注意しておくと、これはあくまでギャリソンの視点で観た映画です。だから真実がどうあれ政府側がどうしても悪として映るのは仕方のないことです。ここを考慮しないといけません。
ギャリソンは世間から非難を浴びますが、彼はオズワルドの名誉を守る為でも、自身の名誉を得る為ではなく、国民の当然の権利である真実を「知る」という権利を、国に問いかけたのです。これは憲法にも書いてあることです。この辺りの問題は現在の日本でもデリケートですよね。だから尚更見入ってしまいました。国民の知る権利と国家の重要機密という矛盾した存在があることがわかります。結局のところ、極論ですが国って言うのは矛盾だらけなんです。ギャリソンはそこを指摘したんです。しかし政府にとっては矛盾は都合が良く、そして悪いものでもあります。
最後のギャリソンの法廷での演説は圧巻でした。正直な話、法廷でするにはあまりにも感情的ではありましたが、映画の最後に「真実を追究するすべての若者に捧げる」とあったように、あれは我々民主主義に生きる国民に問いかけられた演説でした。
もしかしたらドラマとして観ていた人には最後のシーンはモヤッとするものだったかもしれません。しかしギャリソンとその家族の背中は遠い未来の希望に期待をしているようでした。
真相が明らかになるのは2038年とそう遠くない未来となってきました。果たして国民はその時何を知るのでしょうか。
余談ですが、それにしても脇を固めるのがケヴィン・ベーコン、ジョー・ペシ、ゲイリー・オールドマン、トミー・リー・ジョーンズと凄い面子ですね。

「ザ・ハリケーン」
デンゼル・ワシントン主演、ノーマン・ジュイソン監督作品。

【あらすじ】
天才ボクサーのカーターは、キャリアの絶頂で冤罪によって投獄され、終身刑が言い渡される。ところが牢獄で書き上げた自伝に影響された少年が、カーターを助けようと動き出す。

【感想】
ボブ・ディランのアルバムの中で「欲望」が好きな人も多いでしょう。「ブロンド・オン・ブロンド」や「血の轍」と同じく代表作に数えるファンの人に何人か会ったことがあります。その中でも冒頭の曲「ハリケーン」のディランの気迫のこもった歌声には僕も衝撃を受けました。怒濤のごとく、感情を吐き出すディランの歌声にカーターという一人のボクサーの孤独の闘いがのせられていました。それは劇的な歌詞ではなく、生々しく、淡々と事実だけを書き出したものでした。ディランの巧いなと思うところは韻です。特に「nigger」と「Trigger」の韻には鳥肌が立ちました。
そんなディランの「ハリケーン」から始まるこの物語。少年時代から不当な差別を受けて育ったカーターは白人に対する憎しみが蓄積され、その黒い感情は自分の身を守り、敵に向かう為に凶暴な肉体を創り上げました。しかしその肉体は不条理な、形のない権力の前では一つのパンチも当てられません。カーターはただただ、そうした不条理で、憎しみと偏見、そして悪意のある力でねじ伏せられてしまいます。当然といえば当然かもしれませんが、少々白人の警察があまりにも滑稽な悪役に見えてしまいました。しかしこの映画では必ずしも白人に対する憎しみで満たされているわけではありません。カナダ人の三人もそうですが、看守の人など善良な白人が描かれています。ただただ非難して描かれてるのは黒人に対するレイシストだけなんですよね
そしてこの映画の見所はカーター役のデンゼル・ワシントンの好演です。何よりも現役時代と牙を抜かれ、絶望の淵にいたカーターの演じわけが巧いです。刑務所にいて、何度再審しても無駄だと知ったカーターの瞳には光がなく、あの独房に入れられた時と同じように、闇に支配されているようでした。そこからレズラという希望の光に出会い、徐々に救われていくわけです。ただ一つ難を言えば、レズラ達のカーターを救う動機が薄い。一体全体彼らの原動力は何か、ここはフィクションだから背景をもう少し描いてほしかった。
それにしてもアーティストや女優、歌手達が支援したのに、どんどん離れていった現実には何か悲しいものを感じました。まるで一時のムーブメントのようです。でも継続することって地獄の苦しみなんですよね。ディランの場合はこの事件を取り上げたことには意義はあったと思いますが。
終盤の法廷は淡々と終わります。ただこれは実話なんですよね。20年の人生を奪われるってどんな気持ちなんでしょう?カーターが彼らに言ったようにそれは体験したものじゃないとわからないんですよね。

「息もできない」
ヤン・イクチュン主演、監督作品。

【あらすじ】
二人の時だけ泣けた。
漢江、その岸辺。引き寄せ合う二人の魂に涙が堪えきれない。偶然の出会い、それは最低最悪の出会い。でも、そこから運命が動き始めた。
「家族」という逃れられないしがらみの中で生きてきた二人。父への怒りと憎しみを抱いて社会の底辺で生きる男サンフンと、傷ついた心をかくした勝ち気な女子高生ヨニ。歳は離れているものの、互いに理由もなく惹かれあった。

【感想】
今のところ観てきた韓国映画にハッピーエンドはありません。というよりもそんな甘い映画をこちらが選んでいないのも理由ですが。とにかく観る人によっては心に穴が空いてしまうような、そんな虚無感を残す映画でした。
個人的には韓国は儒教の国で、家族というコミュニティを重視する傾向にあると思っています。しかし悪言い方をしてしまうと、家族というコミュニティは時に笧になってしまうことがあります。サンフンは父を憎みながらも愛し、ヨニは愛されたいのに愛してもらえない苦しさの中で藻掻いていました。そんな孤独な感情を抱えた二人が出会い、お互いに多くを語らず、ただただ寄り添うだけで落ち着く不思議な関係を築いていきます。二人は互いに弱音を吐かないんです。不器用と言うより、愛情表現が苦手な二人という感じがしますね。あらすじには惹かれあった、とさも互いに恋愛感情を抱いたような書き方をしていますが、実際に観てみると恋愛感情というものとはまた違った感情のような気がします。枯渇した愛情を、互いに見て観察するような不思議な関係です。甥っ子と一緒に疑似家族を演じている姿は幸福そうで、しかしどことなく虚しさを感じました。
サンフンは暴力を振るい、母を殺した(直接的ではないにしても)父を憎んでいましたが、結局のところサンフン自身も同じように他人に対して暴力を振るう始末。終盤でようやくヨニの兄の姿を自分に映し、過ちに気づくんですが、あまりに遅すぎた。まるで当然の報いのように振り下ろされるハンマーと、血の繋がった、息子のように可愛がっていた甥っ子のお遊戯会のことを譫言があまりに悲劇的。そして皮肉にもサンフンの死が家族の関係を修復させ、ヨニもまた新しい関係を築いていきます。
しかしヨニの苦悩の道はこれからです。生きていく分、母のことを忘れた父と、自暴自棄になったサンフンと同じ瞳をした兄とどう向き合っていくかが重要になります。
それにしてもヨニ役の女優さんは、所謂韓国の綺麗どころではなく、素朴な可愛さのある人でしたね。あと社長のピエール瀧さんみたいな役者さんも味があってよかったです。

「リベリオン-反逆者-」
クリスチャン・ベール主演、ヤン・デ・ボン監督作品。

【あらすじ】
第三次世界大戦後、生き残った人間達は人類滅亡を防ぐために、感情を徹底的に抑制した世界を構築。本や美術品、音楽など感情を揺さぶる物は一切禁止。さらに感情を抑える薬の使用を義務づける。それでも出てくる反乱者はガン=カタと呼ばれる戦闘術を習得したクラリックによって始末されていた。だがクラリックのプレストンは、ある女生徒の出会いから感情に目覚め、自分の任務や社会に対して疑問を抱き始める。

【感想】
昔から考えていたことがあります。それは「争い」はなくなるか、ということです。結論から言ってしまうとなくならないでしょう。人間が人間であり続ける限りは。戦争になるとあまりにフォーカスが大きくなりすぎですが、小さな争いは日常茶飯事です。どうして争うか。人間には欲求があり、感情があるからです。本作はそうした人間の怒りや恨みなどを司る「感情」を差し引いて、人の争いのない平和な世界を理想としている世界での話です。
感情のない人間達が創り上げた為、非常に無機質な、アート性の欠片もないビルが建ち並んでいます。ファーザーという絶対的な存在にして、この世の秩序となる存在が人々の生きる支柱となっています。冒頭でスターリンやヒトラーの映像が流れましたが、まあこれって結局は平和を統一する為のファシズムなんですよね。そうした世界に何の疑問を抱かずに生きてきたエリートのプレストンは徐々に疑問を抱いていきます。
プレストンは人間としての感情を取り戻していくのですが、正直な話、中盤以降ストーリーはお座なりになってしまい、アクションが中心となってしまったのが残念でした。アクションだけで観るのなら良い映画ですが、ストーリーは普通でした。

「アザーズ」
ニコール・キッドマン主演、アレハンドロ・アメナーバル監督作品。

【あらすじ】
1945年の英国。海岸から遠く離れた霧の立ちこめる島で、グレースが叫び声を上げるところから始まる。彼女は口に出せない恐怖のせいで目が覚めたのだが、おそらくその恐怖は幼い我が子アン、ニコラスをあまりにも過保護に心配しているせいで生じたのだ。子ども達は日光アレルギーがあるため、3人はかび臭い大邸宅でいつもカーテンと鎧戸を閉めて暮らしている。

【感想】
これは最後の最後で「アザーズ」とは誰かというのがわかります。そして何とも言えない悲哀が残りますね。
最初にあの使用人達が幽霊だということはわかりました。というよりそっちに意識がいくようにミスリードされたんですけどね(苦笑)生者と死者。光と闇。様々なコントラストが織りなしていたこの作品。家という「家族」を象徴する建物で暮らす母と子ども達。そこに現れた使用人達。この時点では「アザーズ」といのは使用人達のことです。しかし最後を観てわかるよに、「アザーズ」とは死者のことを表しています。死者は家にいることは出来ますが、家をどうにかする力を持ちません。つまり生者が家を保つことで、家は存在し続けます。これが生者と死者との共存です。しかし生者にとってはまったくメリットがないんですよね。
とにかくホラーを期待して観ると肩透かしを喰らうかもしれませんが、ヒューマンとして観たら非常に秀逸な作品でした。
author:トモヤムクン, category:映画, 20:52
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小さな映画館 第56幕
(※ネタバレを含みます)
「晩春」
「月に囚われた男」
「戦争のはらわた」
「椿三十郎」
「プレステージ」
「トンマッコルへようこそ」 

「晩春」
原節子、笠智衆主演、小津安二郎監督作品。

【あらすじ】
鎌倉で娘紀子と二人で暮らしている大学教授。何とか紀子を嫁にやろうとするが、彼女は父親の側を離れたくない言う。

【感想】
ある家庭のある一風景を切り取った、そんな小津安二郎監督の作品です。
紀子にとって父を支えることが生き甲斐になっていて、自分自身の人生を歩んでいないんですよね。というよりも父と共に歩むことが人生となってしまっています。それとは対照的に友人はバツイチで、自由恋愛を求めています。こういう時代って古風な恋愛が当たり前のように思うかもしれませんが、意外と自由恋愛なんです。だからこそ紀子は伯母さんに旧式と言われてしまいます。
ところで紀子はファザコンなのか?と言われれば少し違うと思います。そういえば「お父さんのことが好き」というセリフがありますが、それとは反対に床を並べ、吐露するように「お父さんのことがとても嫌だったんだけども」というセリフがありますね。僕が考察するに紀子は<妻>と<娘>の役を担っていると思われます。母が不在だからこそ自分が母の代わりにならなければという責任感から、父を孤独にしたくないという気持ちが強いと思います。だからこそ父を放っておけないし、時には嫌なこともあったのかもしれません。紀子が結婚しない理由は父を孤独にしない為なんですね。
最後のシーンは号泣ではなく静かな涙が流れました。父親の娘以上に彼女の幸福を願った嘘。そして娘の、妻の不在を知り孤独の静けさを感じた父親の涙は胸が熱くなりました。

「月に囚われた男」
サム・ロックウェル主演、ダンカン・ジョーンズ監督作品。

【あらすじ】
核燃料生産企業「ルナ産業」に勤めるエンジニアのサムは、宇宙資源を採掘する為に月に三年間派遣されていた。ある日サムは事故で大怪我を負う。気が付くとそこには自分と同じ顔の人間がいた。彼もまたサムであった。

【感想】
素直に面白かったです。デヴィッド・ボウイの息子ということで少々偏った見方をしてしまうかもと思っていましたが、杞憂に終わりました。まさにTHE SFと言った作品です。
サムという男達は同じ記憶を有した同一の人間でありまったく違うクローンです。身体も記憶も同じで、異なることといえばその瞬間からの経験だけです。本来このクローン達が邂逅することはありませんでしたが、ある事故で偶然であってしまいます。同じサムでも個体差が出ていて見分けがつき、その点は非常に分かりやすかったですね。
さてこの映画が提示した問題点は「効率」と「エゴ」ですね。地球の資源が枯渇する未来というのは現実にもそう遠くはないのかもしれません。それでも人間は生きていく為に資源を必要としますが、このルナ産業というところは進言をどうこうという以前に利益を重視しています。サムというクローンを使い捨て、クローンの人命は無視。これは明らかに人間の生み出した、いやエゴの生み出したものです。しかし彼らは記憶こそ共有しているものの、それぞれの経験により個体差が出てきます。つまりクローンであろうとも、人間には変わりないのです。ここら辺の問題は非常に難しいですよね。クローンは現在でも法律上製造は禁止されています。主な理由は人権や倫理などと言われていますね。実際映画内でも地球に帰ってきたサムに対してもやはり心ない言葉が浴びせられます。クローンは人間か否か、やはり難しいですが、確かに「サム」という個体は存在しています。そしてその「サム」には共有する記憶以上の愛情がありました。亡くなる直前のサムが飛び立ったサムの姿を見て亡くなっていったのはとても胸が締め付けられるシーンでした。
それにしてもケヴィン・スペイシーはどこにいるのかと思いきやガーティの声だったんですね。

「戦争のはらわた」
ジェームズ・コバーン主演、サム・ペキンパー監督作品。

【あらすじ】
1943年ロシア戦線。ソ連軍との戦闘が激化する中、ドイツ軍は撤退を余儀なくされた。そのドイツ軍の小隊長シュナイター伍長は肩書きだけの無能な将校をひどく嫌っていた。新指揮官のシュトランスキー大尉も例外ではなかった。彼の望みはドイツ軍最高の勲章、鉄十時章を手に入れることだった。

【感想】
この映画は本当に面白かった。久しぶりに、死語を使うのなら痺れる映画だった。
出世欲に駆られる上官とそうした欲望に溺れる上官達を軽視するシュタイナーの対比がまずこの物語にあります。勲章こそ名誉であると考える上官とそんなものは鉄くずだと吐き捨てるシュタイナー。しかしそんなシュタイナーは愛した女性が言うように、この戦争が既に自分の生きる支えになってしまっています。思えば両者とも戦争が生み出した被害者のようなものです。
そして敵側の子どもとの別れのシーンで、
「全て偶発事だ。人間が作った偶発事。我々の側、おまえの側・・・考えなしの・・・ある極限からもう一つへ。どれも上手くいかない。絶対に。だから私達は真ん中にいる。私とお前だけの世界」
このセリフが良いですね。ちょっと翻訳があれですが、シュタイナーはとにかく神という存在を敵視しています。というよりもこんな悲惨な状況のどこに神がいるのか、と説いています。どんな戦争だって結局は神の形を借りた、人間の戦争です。戦争は人間が作った偶発的な出来事なのです。戦争をする国同士は勝利だけを眼前に見ようとしますが、シュタイナー達にとっては先の勝利よりも、眼前の生と死だけなのです。
最後のシュタイナーの笑い声は印象的ですね。個人的な解釈ですが、あれは弾を装填もできない無能な男に怒り、振り回され、生死の境をさまよったことに対して自嘲的な笑いなのかもしれません。結局はこうした無能な者達によって多くの人々が死んでいったのだという。
本当に良い映画なのですが、ただ一点これだけは言わせていただきます。字幕がいただけません。直訳のような英訳に、さらには漢字の誤字が目立ちます。

「椿三十郎」
三船敏郎主演、黒澤明監督作品。

【あらすじ】
ある藩の御家騒動に巻き込まれた三十郎が、腹黒い家老たちの不正を暴こうとする若侍たちを手助けすることに。

【感想】
黒澤明監督が創り出すキャラクター達にはとにかく個性があります。それぞれの登場人物が活き活きとして描かれてるんです。さて今回はまさに日本人が好きな勧善懲悪もので、はっきりと正義と悪が照らし出されています。そしてその中立を成す男こそ椿三十郎。風来坊で一体何者かは判明しません。しかし腕は確かで、頭も切れる。普段はぐうたらではるが、一度斬り合いとなるとギラギラと燃え上がる。その二面性が格好いいんですよ。そして若い侍達には手を汚させず、しかしそれでいて自分の殺人に罪を感じているような悲哀が良いですね。
見所は椿三十郎だけではありません。敵ではありますが室戸もまた良いです。まさに悪役に相応しく、あくどく、強欲で、しかしそれでいて三十郎と似て頭も切れ、腕も利く。こうした同じ力量の相手が、立場を対照的に対峙するのは魅力的です。二人に共通するのは己と刀を信じ、それ故に孤独な面です。どちらも鞘におさまることのない、いや鞘を失った、さまよう刀です。
他にも奥方や押し入れの男、のほほんとした馬面の城代など、キャラクターがとても濃いです。

「プレステージ」
クリスチャン・ベール、ヒュー・ジャックマン主演、クリストファー・ノーラン監督作品。

【あらすじ】
若く野心に満ちあふれたロバートとアルフレッドは、マジシャンの助手をしていた。ある晩、舞台の事故でロバートの妻が亡くなったことが原因で二人は敵対するようになる。その後、彼らは一流のマジシャンとして名声を得るが、その争いは次第に激しさを増す。

【感想】
クリスチャン・ベール、そしてクリストファー・ノーランと言えば、「バットマン」や「ダークナイト」を思い出す方も多いと思います。僕にとっても「ダークナイト」は特別な作品で未だに近年では最高傑作の映画だと思っています。そんな彼らが「ダークナイト」を撮る、少し前に上映されたのがこの映画。二人のマジシャンが過去の因縁から逃れられず、争っていく物語です。クリストファー・ノーランらしい独特の時間軸で語られ、二人の境遇が日誌という主観的な表現で映し出されます。アンジャーは愛する人を失った哀しみ、そしてボーデンの才能に対する嫉妬、彼の幸福な生活に対する怒りから彼のマジックを盗んでいきます。しかし所詮は盗んだものでしかなく、確実に本物とは言えないのです。そして彼はテスラという科学者と出会い、科学の力による瞬間移動を与えられます。ここで興味深いなと思うのは科学というのは謂わばマジックからしたら対照的な存在です。そうしたマジシャンの誇りまで捨てて、起用して成功させたいとはなんたる皮肉でしょう。
最後の最後でネタばらしがありますが、ボーデン側のトリックは早い段階からわかっていました。結構わかりやすかったからね。けどアンジャーの場合は少し驚きました。科学の副産物とはいえ、まさかクローンを創り出すマシーンによるものだったとは。勿論帽子が増える現象からそれはわかっていたんですが、ちょっとこのネタには肩透かしを喰らいました。
それにしても、デヴィッド・ボウイが思いの外はまり役でしたね。

「トンマッコルへようこそ」
パク・クァンヒョン監督作品。

【あらすじ】
時代は熾烈極まる朝鮮戦争。森で道に迷った二人の韓国軍、敗走する三人の人民軍、偵察飛行で墜落した一人のアメリカ軍パイロット。彼らが偶然であったのは戦争が起こってることさえ知らない村トンマッコル。国も立場も異なる男達は互いに反発しあうが、トンマッコルで暮らしていくうちに友情を育んでいくが・・・。

【感想】
この映画は序盤のグロテスクなシーンから「おおシリアスか」と思い、トンマッコルの村人と会い「ああ、コメディなんだな」と思い、そして終盤「え?マジで?」と様々な場面転換に衝撃を受けた作品でした。とにかく純粋で敵意を知らないトンマッコルの村人と互いに憎み合い、殺し合っていた人民軍と連合軍とアメリカ人兵士。本来交わることのない者達がトンマッコルの非戦闘的な、好意的な、人間的な態度に接していき本来の良心を取り戻し、「軍」ではなく個人としての友情を深めていきます。そのきっかけというのが猪を退治するシーンなのですが、これがまた大袈裟でくどくて、バカっぽいんだけども、なぜか感動してしまった。その後は連合軍が攻めてきて、あのアンハッピーエンドを迎えるわけえです。
それにしても韓国映画ってアメリカ軍の「民間人に同情する理由はない」というセリフがあるように割と反米的なニュアンスが多いんですよね。「親北反米」と批判もあったそうですが、どちらかといえば親北というより北も南も、そしてアメリカもみんな手を取ればいい、というニュアンスとして受け取りました。しかしここが肝で現実味があるな、と思ったのは、彼らがいくら手を取り合っても、戦闘機や核の前では無力であるということです。ただそうした悲惨さが戦争の悲劇性を際立たせてるんですよね。トンマッコルというのはそうした南と北の真ん中にある村ですね。上から命令で殺し合いをしている彼らが村長になぜ平和を保てるのか、と聞いて「食べさせることだ」というセリフは印象に残っています。当たり前のようで実に難しいことなんですよね。上がそういう風に、私利私欲ではなく、誰かの為を考える人であったなら、平和なんだろうと監督は考えたのではないでしょうか?
それにしても何度も雨や色々なものが降ってくるシーンがありましたが、最後の最後に核の雨が降ってくるシーンでは心痛の思いでした。
最後のシーンでみんなが眠っているところにヨイルがいましたね。あれは罪を背負っていた彼らが揃って純粋な彼女と同じ天国へ行けたんだな、と解釈しています。ここら辺はキリスト教的なものなんでしょうか?
それにしてもBGMが良いと思ったら、久石譲さんなんですね。
author:トモヤムクン, category:映画, 21:23
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小さな映画館 第55幕
(※ネタバレを含みます)
「母なる証明」
「キッズ・リターン」
「フォロウィング」
「ヤング・ゼネレーション」
「トゥルー・クライム」

「母なる証明」
ポン・ジュノ監督作品。

【あらすじ】
知的障害のある息子トジュンを母親は常に心配していた。ある日トジュンは殺人の容疑で捕まってしまう。息子は無実であると信じる母親は情報を集めていくが・・・・。

【感想】
ポン・ジュノ監督作品は面白いですね。この作品はとにかく韓国社会の闇という闇を描いていました。まずは何と言っても売春ですね。これには貧富というのも関わってきます。そして警察という権力です。こうしたものが混ざり合ってこの作品は構成されています。
今作の母親は息子が唯一の生き甲斐です。精神の、生命の支柱のような存在になっています。一方トジュンは母親に普通に懐いているものの、母親の愛以上のものは決して返しません。それでも母親はトジュンに対する愛と贖罪から何が何でも護ると決めています。その信念だけを頼りに調査をしたわけですが、最終的には母親のしたことは社会の倫理や道理からは外れてしまいます。しかしそれでいて母親は「母」としての自分を選んだんです。亡き少女も亡き老人をも踏み越えて。この作品で一体何が問われていたか。あまりに強い「母性」というものの正体です。理性を越えた母性というのは純粋な狂気となりえます。それこそが「母なる証明」です。
殺された少女の境遇も悲しかったですね。身寄りがなく、ただ一人の祖母も認知症で飲んだくれ。生きていく為には身体を売らなくてはいけない。しかも「金がないなら米」というのが、彼女が生きるのに必死なのがわかります。
そして警察ですが、彼らは単純な証拠だけでトジュンを逮捕しました。その後に血痕が付着していた、これもまたトジュンと同じ知的障害のある男が捕まってしまいます。その男には証言能力がありません。あるのは付着した血痕だけです。しかし彼は犯人でないことは視聴者も母親も知っています。しかし警察はそれを知りません。
この作品は誰も救われません。トジュンだけは自身の犯した罪を意識することなく(寧ろ善意の心で)生きていきますが、これも障害者と犯罪の壁をどう考えるか、という問いを訴えかけているようです。難しいですよね。日本でも度々議題に挙がりますが、明確な答えは出ません。警察は単純な物証だけで逮捕しましたが、本当に罪を裁くというのはもっと複雑なものです。
母親は最後に「嫌な記憶や心のしこりを洗い流す」ツボを針で刺し、まるで抜け殻のように踊って終わります。果たして母親の行動をどう感じるか、是非観て考えていただきたい。
余談ですが、興味深かったのは韓国でも中国産の扱いは日本と同じなんですね(笑)

「フォロウィング」
クリストファー・ノーラン監督作品。

【あらすじ】
作家志望の男ビルは小説のヒントの為に人を尾行する。しかしコップという男にばれてしまう。そのコップから泥棒の手ほどきを教わるが・・・・。

【感想】
これはなかなかおもしろかったです。70分という短い尺ながら、見せるところはきちんと見せています。とにかく時間軸がバラバラで、話は二転三転します。最後の最後で畳みかけるように降ってくる男の企みは凄かったですめ。このラストの為だけに使われた60分に感じました。まあ感想も映画並みにこれくらいで(笑)

「キッズリターン」
金子賢、安藤政信主演、北野武監督作品。

【あらすじ】
おちこぼれの高校生マサルとシンジは悪戯やかつあげをする毎日だった。ある日ボクサーに負けたマサルはボクシングを始めることに。シンジを巻き込んで練習に励むが、才能を開花させたのはシンジのほうだった。マサルはボクシングを辞め極道の世界に入る。二人はそれぞれ順調であったが・・・・。

【感想】
これは「青春」というより、とにかく「青い」という映画でした。学校という規律の中にはおらず、窓の「外」にいるやんちゃな二人。マサルは直情的でシンジは他人に流される。この二人は一緒でいることで、成り立っていた関係だと思います。その二人が別れ、それぞれの世界にいってしまったことで二人は路頭に迷ってしまいました。この二人には互い以外に理解してくれる人間はいません。だからこそ常に孤独で答えを与えてくれる存在もいないんです。
二人は高校の時は一つの小さな世界の大海のような校庭で輝いたのです。現実はそんな校庭よりも遙かに広く、深い。その瞬間を生きることしかできない。これは「夢」を見ていた漫才師の二人との対比がよく表しています。

「ヤング・ゼネレーション」
デニス・クリストファー主演、ピーター・イェーツ監督作品。

【あらすじ】
インディアナ州の小さな町。大学へ進学しなかったマイク達は大学生達と喧嘩ばかり。ところがイタリアかぶれの青年デイヴが女子大生のキャサリンに恋をする。しかし自体は混乱し、自転車レースに出ることに。

【感想】
THE 青春といった内容でした。アメリカのインディアナ州の小さな町では格差があります。そんな中デイブ達は夢もなく目標もなく、ただただ無気力に過ごしています。そんな中デイブはイタリアと自転車という趣味を見つけ、その上に愛する人まで見つけてしまいますが、イタリア人に裏切られ、愛する人を傷つけ、落ち込んでしまいます。そこから自転車レースで復活する。まさに王道青春ストーリーですね。一緒にいるけどバラバラな四人が最後の最後で一つのレースを交代しながら完走する。十代という多感な時期の青年達にはこれ以上にない誉れとなり、十代の輝きとして残り続けるでしょうね。

「トゥルー・クライム」
クリント・イーストウッド主演、監督作品。

【あらすじ】
エベレットは昔は敏腕の記者であったが、酒と女に溺れ今ではおちぶれてしまった。そんな時ある死刑囚の死刑が執行されることに。この事件を担当していた女性記者が亡くなり、代わりに担当することになったエベレットはこの事件に疑問を抱く。

【感想】
もしも題名やあらすじだけで、サスペンスやミステリーとして観たら拍子抜けするかもしれない。ただこの映画にはアメリカの問題が色々含まれています。死刑制度、人種差別、ホームレス、人権問題、家族等々。そこはイーストウッドらしいですね。この映画は派手さはありませんが淡々と、皮膚を刺激するように進んでいきます。エベレットは有能というよりも、自分の信念は曲げないタイプですね。その犠牲として家族を失ってしまいますが。そういう記者は良くも悪くも世間を賑わせます。その通りに彼は一度失敗を犯していますからね。だからこそ今回も自分の「鼻」、要は信念で捜査していくのですが、どうも危なっかしい。ストーリー前半は12時間の猶予だというのに、比較的のんびりしていて、後半になると「しまった」というようにかなり加速していきます。そういうストーリーのバランスに難があり、色々詰め込み過ぎなところもありますが、決して悪くはない作品です。
余談ですが娘役の子は本当のお子さんだったのにビックリしました(笑)
author:トモヤムクン, category:映画, 22:24
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小さな映画館 第54幕
「ファイト・クラブ」 
「イレイザーヘッド」
「メメント」
「グエムル〜漢江の怪物」
「ザ・シークレット・サービス」

「ファイト・クラブ」
エドワード・ノートン、ブラッド・ピット主演、デヴィッド・フィンチャー監督作品。

【あらすじ】
不眠症に悩むエリートのジャック。彼は空虚な生活を送っていたが、タイラーと出会ってから一変する。二人は父に捨てられた過去を持つという共通点があった。ある日タイラーとジャックはお互いに殴り合い、その様子を見た人々が集い、”ファイト・クラブ”という巨大な組織になっていく。

【感想】
スピーディーに且つハチャメチャに進んでいくストーリーにとにかく惹き付けられました。エドワード・ノートンは本当に上手い俳優さんですよね。最初に彼の演技で驚愕したのは「真実の行方」でした。あの映画とは違い今回のジャックという役は非常に冴えない、希望を持たない、空虚。その演技が全編を通して冴え渡っていました。
生きる実感がないジャックは様々な病気を持つ人々のカウンセリングに通います。これは「死」を知っている人々だからこそ「生」が強烈に感じられると思っていたのでしょう。しかしそれもマーラという女性に壊されてしまいます。
「沈黙と忘却の暗黒の世界に身を投じて自由を見つけた。希望を見失うと自由が」
ジャックとタイラーには生きているという実感は、ファイト・クラブという人間の裸の本能に忠実なゲームにのみありました。つまりそうした肉体を破壊する行為で生を感じているんです。そして彼らは「死」という漠然とした観念はなく、あるのは物質的な世界に存在する肉体。
ネタバレしてしまうとテイラーはジャックのもう一つの人格なのですが、ジャックの場合は破壊行為は内側にエネルギーが向いています。しかしテイラーは外側に向かっているのです。ジャック自身の虚無にテイラーは社会という虚無に破滅を求めていました。「破壊」という共通点があったものの、やはり向きによって齟齬が生じてしまったジャックの心。テイラーという存在はよく見てみればジャックという人間とは対極です。これは当然で、テイラーはあくまでジャックの理想像だからです。カリスマ性があり、慕われ、何者も恐れない。ジャックは改めて劣等感を感じたのかもしれません。
そして彼は初めてマーラという女性に対する愛情を感じます。それは腫れ物のように扱っていた彼女が自分を受け入れ、存在を認めていてくれたからです。しかし彼はテイラーの女だと思い、無意識に彼女の存在を否定してしまいました。最後はそうした彼女の存在を自覚して、生きる実感を取り戻す為にタイラーを殺したのかもしれません。
駄文失礼しました。

「イレイザーヘッド」
デヴィッド・リンチ監督作品。

【あらすじ】
ヘンリーは付き合っている女性メアリーから奇妙な赤ん坊が生まれた告げられる。二人は結婚するが赤ん坊の甲高い泣き声に嫌気がさしたメアリーは実家に帰ってしまう。やがてヘンリー自身も精神がおかしくなってしまい・・・・。

【感想】
デヴィッド・リンチの作品だから一筋縄ではいかないだろうなと思っていたら案の定。とにかく最初から最後まで奇っ怪な夢を見ているみたいでした。さてさて、この作品はどう解釈すべきか。まずあの奇妙な赤ん坊は何なのか。僕もよくわからなかったので、検索してみたのですがある人が、あのミミズのような物体は「精子」であると書いてあり、妙に納得しました。ヘンリーの性欲ですね。鶏肉からの流血はもしかしたらヘンリーは赤ん坊を望まなかったのかもしれません。メアリーの母に肉体関係の有無を問われた時には言い淀んでましたし。その性欲の象徴のような赤ん坊がいることで、ヘンリーの性欲は溜まりに溜まってしまいます。そして奇妙な顔をした女性が歌う曲。天国に行けば悩みもないし、悦びも得られるし、気持ちいいと歌っています。そんな歌を歌いながら精子を踏みつぶす女性。これはいくつか解釈があると思います。一つは死んでしまえば性欲なんてものに悩まされずにすむということ。つまり現実に対して絶望しているのです。
そしてヘンリーの頭がもげ、身体からあの奇妙な物体が出てくるシーンは身体全体が性欲に支配されたことを意味していると思います。同時に鉛筆の頭に加工されたヘンリーの頭というのは結局は「脳が無い」ということだったのではないでしょうか。
ラストはその赤ん坊を殺してしまいます。これはヘンリーが自殺したとのでは、と個人的には解釈しています。
それぞれ色々な解釈があると思いますが、そういう解釈できる映画っていいですよね。

「メメント」
ガイ・ピアース主演、クリストファー・ノーラン監督作品。

【あらすじ】
ある日レナードの妻が自宅に押し入った何者かに襲われ、レナードも助けようとするが相手に突き飛ばされた外傷で10分間しか記憶が保てない健忘症になってしまう。
復讐の為に妻を襲った犯人を捜そうとし、記憶が保てない代わりに10分前のメモを頼りにする。

【感想】
こういう映画ってなかなか時系列追っていくのが難しいんですが、この映画では時間を表すものがありましたね。それこそレナードの頬の傷です。これがあるかないかでどちらが先に起こった出来事かはわかります。あと実はすべてを見終わると非情に単純なパズルだったことがわかります。要は時系列をまったくの逆さまにしてしまっただけなのです。
それにしてもレナードという男は今後も自分の記憶という「世界」で苦しみ、藻掻き続けなければいけないんですよね。どんなに復讐を果たそうが、復讐したことする忘れてしまい、挙げ句また憎しみに戻る。残酷な言い方をすればレナードを唯一救える方法というのは「死」なのでしょう。
自分が一体何者なのか、という状況って恐いと思いませんか?自分が自分ではないのですから。そこに肉体と意識があったとしても、自分には過去がなく未来もない。あるのは紙片の上の過去だけ。それが唯一自我を保つ方法なんです。

「グエムル〜漢江の怪物」
コ・アソン、ソン・ガンホ主演、ポン・ジュノ監督作品。

【あらすじ】
韓国漢江に両生類のような怪物が出現した。露店の男カンドゥの娘ヒョンソは怪物に食べられてしまう。カンドゥと一家はヒョンソを助ける為に怪物を探すが・・・・。

【感想】
この映画は色んな人が勧めていたので観てみました。それに「殺人の追憶」のポン・ジュノ監督とソン・ガンホということもありますからね。もう観てみてビックリ、とにかくクオリティが高いの何の。抽象的な表現ですが韓国映画は映像の重みがありますよね。ただのモンスターもの、パニックものというだけではなく、家族ものでもあり社会風刺でもありましたね。アメリカ人の勝手で怪物が生まれ、ウィルスなどないのに劇薬を作ってみせたりとかなり反米的な色合いが出ています。日本から見ると情報が統制されてるイメージの韓国ですが、結構映画のほうは色々自由なんですよね。そしてそんなアメリカに振り回される韓国国民。何とも皮肉ですね。
個人的には韓国は家族との絆を大切にするイメージがありますが、この映画でも顕著でしたね。娘の為に全財産をはたき、命をかける。家族の普遍敵なイメージかもしれません。だからこそ最後が悲しかった。カンドゥがあの孤独な家で少年と二人暮らしている姿。つまり二人とも行く場所がないという暗喩のように思われました。

「ザ・シークレット・サービス」
クリント・イーストウッド主演、ウォルフガング・ペーターゼン監督作品。

【あらすじ】
フランクは長年シークレット・サービスに勤める捜査官。昔ケネディ暗殺事件の現場にも配置されていたが、大統領を守り抜くことが出来ずに悔いていた。ある日フランクのもとに大統領を暗殺するという電話がかかってくる。

【感想】
うーん、嫌いじゃない。けど雑だなと思う箇所と、ラブロマンスが色濃いなというのが難。個人的にはラブロマンスのほうがいらなかった。これが挿入されることで妙に緊張感を削がれてしまった感があります。まあそれでも所々は楽しめました。
それにしてもイーストウッド主演のはずがジョン・マルコビッチのほうが良い味を出していましたね。まさに狂気というものを感じられました。
author:トモヤムクン, category:映画, 22:05
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小さな映画館 第53幕
(※ネタバレ含みます)
「2001年宇宙の旅」
「バンデットQ」
「殺人の追憶」
「デジャヴ」
「ボーン・アイデンティティー」


「2001年宇宙の旅」
スタンリー・キューブリック作品。

【あらすじ】
<人類の夜明け>
ヒトザルの目の前に黒い石版のような謎の物体「モノリス」が現れる。次第に一匹のヒトザルが骨で他のヒトザルを殺すようになる。

月に人類が住むようになった頃、謎の物体モノリスを調査することに。
<木星使節>
18ヶ月後宇宙船ディスカバリー号は木星探査の途上であった。船長のデヴィッドとフランクの他3人を乗せた宇宙船には、史上最高の人工知能HAL9000型コンピューターが搭載されていた。あまりに完璧なハルはこの調査に対する疑問をデヴィッドに呈する。ある時ハルは一つのミスを犯し、不信感を抱いたデヴィッドとフランクはハルを停止させようとするが・・・・。
<木星 そして無限の宇宙の彼方へ>
木星の衛星軌道上、巨大なモノリスに遭遇し・・・・。

【感想】
キューブリックの傑作の一つであり、SF映画の最高傑作です。劇中殆どセリフがありません。その代わりに壮大なクラシックや対照的な無音、もしくは生々しい息遣いや鼓動、そして視覚的な表現によりのみ表されています。内容としては比較的シンプルなのですが、正直とても難解な作品で僕個人の解釈が当たっているかどうか自身がありません。
まず「モノリス」です。これは一体何なのか。人類の起源となるヒトザルの目の前に現れ、ヒトザル達は武器を持ち、攻撃することを覚えていきます。このことから「モノリス」というのは知的進化を促す為の物体なのではないか、ということです。では最後に出てきた「モノリス」の意味は何だったのか?あれは「モノリス」に飲まれてしまい、同一化してしまったのではないか、と思っています。つまり人類を超越した特別な存在となってしまった。
さてこれを暗喩とした時、どう解釈しましょう。人類を超越した存在というのは、言ってしまえば神様をも凌ぐ存在となります。西洋的な宗教の神様というのは唯一無二、絶対的な存在です。しかし相反する科学という知的な存在の進歩が速くなることにより、いずれ追いかけていた神様をも越えてしまうという暗喩ではないかな、と思いました。追いつこうとする者はそうしたものに結局は飲みこまれてしまうのでは、という。稚拙な解釈ですが、漠然と浮かんだ僕の答えです。あとは追いつこうとする者は常に孤独であるということですかね。もう一度じっくり見てみたいですね。

「バンデットQ」
テリー・ギリアム監督作品。

【あらすじ】
孤独な少年はクローゼットから現れた六人の小人に導かれ、時空の冒険の旅に出る。そこにはナポレオン、ロビン・フッド、アガメムノン王、タイタニックまで現れる。その裏では神に反する悪魔が動いていた。

【感想】
まさにテリー・ギリアムといった作品です。モンティ・パイソン色も結構出てましたね。メンバーのジョンやマイケルも出演していましたし。とにかくこれぞファンタジーという世界観を見せてくれます。まずは史実通りチビをコンプレックスにしているナポレオン。そんな彼を恐れ、挙げ句自死をしようとする側近達。英雄視されがちなナポレオンをこれでもかという風に皮肉を効かせています。そして「チビ」をナポレオンと認識するのもまた面白い。次にロビン・フッドを演じるのはモンティ・パイソンのメンバー、ジョン・クリーズ。貧者を殴られるのを見て正しいかどうかわかってないロビン・フッドという。
そして神に作られた悪魔のコンプレックス。自分が神に創造されたことを徹底的に否定し、自分の世界を手に入れようとします。それにしても神は科学に弱いというのはギリアム節の皮肉ですよね。攻撃される時も「神」が創造した人類の武器を駆使してましたし。結局は神の掌の上で転がされていただけだったという。
それにしても神とケヴィンの会話は印象的でした。
ケヴィン「あなたの試みで大勢の人が死んだ」
神「不満かね?」
ケヴィン「悪は何の為に必要なの?」
神「自由意思のためだ」
ここら辺はアダムの「罪」にも似たようなところがあります。悪があることによって人は判断ができるんですよ。皮肉なことに悪魔も「神」という悪があって「自由意思」を持って行動してたんですよね。
そして衝撃のラスト。息子よりトースターを心配していた両親が悪魔の欠片で爆発してしまったことです。この後にショーン・コネリー演じるアガメムノン王にそっくりな消防士が意味深にウィンクをしてみせます。ここをどう解釈するか。まず火事によって両親は死んでしまっていたのではないか?ということです。そこにケヴィンは夢を重ね、悪魔のせいにで死んだと思い込んだのかもしれません。そして消防士。消防士というのはアガメムノン王と重ね、自分を思ってくれ、救ってくれる人と思ったのかもしれない。
しかしそれらもすべては神のみぞ知る、です。

「殺人の追憶」
ポン・ジュノ監督作品。

【あらすじ】
軍事政権下の韓国のある農村で起こった猟奇的殺人事件。次々と被害者らしき男をしょっ引くがどれも犯人ではない。そんな時ソウルからソ・テユン刑事がやってくる。

【感想】
久しぶりの韓国映画。清涼感に溢れた甘ったるい韓流ドラマは苦手ですが、映画は好きですね。この映画ではとにかく人間模様のスリリングさを堪能できました。これを謎解きものとして観たら肩透かしを喰らうかもしれませんが、刑事達のどんどん窶れ、より粗暴になっていく過程は見ていて緊張感があり面白かったです。特に雨は効果的で悲壮感と虚無感が混じり合ったような、何とも言えない心地にしてくれます。
暴力的な捜査をする警察を観ていて、確かにあまり良い気分ではありませんでしたが、こういう暗部を描くのも韓国映画の魅力だと思っています。
そして何よりどんなシーンよりも個人的にはラストで一番恐怖しました。事件から時が経ち少女が見た真犯人。それは「普通の顔の男」なのです。彼らが取り調べた男達はそれなりに特徴のある顔立ちでした。しかし「普通」というのは何とも絶望に落とす言葉ではないですか。だって掴めるものがないんですから。つまりどんなに捜査したところで捕まらない、ということを暗示した、胸がぽっかり空いたような余韻を残してくれました。

「デジャヴ」
デンゼル・ワシントン主演、トニー・スコット監督作品。

【あらすじ】
ニューオリンズで多数の犠牲者を出す、フェリーの爆発事故が起きた。捜査の過程で何者かによるテロであることがわかり、その付近では女性の遺体が発見された。
ATFのダグはこの捜査に加わり、スノーホワイトという監視システムで4日と6時間前の映像を観ることに。

【感想】
娯楽映画として凄く楽しめました。話としては王道な部分もありましたが、それを抜きにしても緊張感があり、ハラハラしましたね。何よりもこの「デジャヴ」というタイトルが憎い。ラストのほうでそのタイトルの意味がわかります。なぜダグが彼女(クレア)という初対面の亡き女性に惹かれていったのか。それはすべて「デジャヴ(既視感)」だったからです。未来のダグは死んでしまいましたが、過去のダグは新たな世界をクレアと生きていきます。つまり平行世界ですね。劇中でも説明がありましたが本流から逸れた未来になったんです。ある意味ではハッピーエンドの映画ですね。

「ボーン・アイデンティティー」
マット・デイモン主演、ダグ・リーマン監督作品。

【あらすじ】
漁船に救助された男は記憶をなくしていた。マイクロチップを頼りにスイスに向かうが、そこでは彼を狙う者がいて・・・・。

【感想】
言わずもがな人気作、ボーンシリーズの第一作目です。とにかくクールなジェイソンが格好いいシリーズですよね。一作目はとにかくジェイソンは一体何者なのか?ということに焦点があてられています。正直な話をしてしまうと一作目は今後のシリーズにおける序章みたいなものです。この映画単体でもなかなか面白く観ることができますが、正直シリーズを通して観ないと真の評価はできません。今作ではジェイソンという存在が判明し、更に敵の敵がいたという展開で終わります。また次作を観て感想を書きます。
author:トモヤムクン, category:映画, 22:04
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小さな映画館 第52幕
(※ネタバレを含みます)
「夕陽のガンマン」
「隠し砦の三悪人」
「ジョージ・ハリスン/リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」
「ゴジラ」
「ダーティーハリー2」
「ミスティック・リバー」

「夕陽のガンマン」
クリント・イーストウッド、リー。ヴァン・クリーフ主演、セルジオ・レオーネ監督作品

【あらすじ】
二人の賞金稼ぎ、名無しの男とダグラス・モーティマー大佐。互いの実力を認め協力し、ギャングのインディオを狙う。

【感想】
同監督、同主演の作品ではよく「荒野の用心棒」と比較されますよね。モンコとジョーは同じ風貌で出で立ちですが、キャラクターはまったく違いますね。ちなみにレオーネ監督はあくまで「名無しの男」として同一人物としています。どちらも一流のガンマンですが、個人的にはジョーは冷静沈着でスマート、そしてモンコはジョーよりも少々ムラがあるように思われます。でもねモンコも格好いいんですよ。ただこの映画に関してはモーティマー大佐のほうが個人的には格好いいんですよ。序盤の聖書を読んでいたシーンからもう惹き付けられます。
こういう西部劇のガンマンに何か親近感が湧くと思えば、侍と同じように一騎討ちというか、正々堂々というか、ガンマン暗黙のルールがあるんですよね。まあ節操なしにバンバン撃たれても、無味乾燥な気がしますしね。
この映画の見所は賞金稼ぎと悪党という単純な物語ではなく、最後に明かされる「復讐劇」であったということですね。これがインディオ側が殺害した過程が語られ、モーティマー大佐側が多くを語らなかったことが良いドラマを生んだと思います。
そして相変わらずBGMが良い!
「相棒だろ」
「・・・またな」
この二人の掛け合いだけで、ご飯さんb.....

「隠し砦の三悪人」
三船敏郎主演、黒澤明監督作品。

【あらすじ】
百姓の太平と又七は手柄をたてる為に私財をなげうってまで戦に参加したが、身ぐるみをはがされてしまう。途方に暮れた二人は木の棒の中に金が入っていることを知り、金を探し回る。そんな時二人の元に現れたのは得体の知れない男だった。男は金は自分の物だと言い、二人を金のある場所まで連れて行く。訝しみながらも作業をしていた二人は泉で一人の美女と出会う。

【感想】
黒澤明の作品って難しそう、って昔友人が言っていたのを思い出します。確かに色々な解釈のできる作品はありますが、この作品は物語をなぞる上では非常にシンプルで王道な作品です。アクションもありシリアスなドラマもあり、そしてユーモラスなシーンもあります。特に太平と又七の二人には笑わせてもらいました。この二人はとても卑しくて、強欲で、エゴイストで、日和見主義で、とても付き合いたくはない人間なのですが、妙な愛嬌があり憎めませんし、思えば人間って大体こういう感じだよな、という権化でもあると思います。
そして三船敏郎演じる六郎太。「七人の侍」などの奔放な男ではなく、どっしりと構えたまさに武士という男で格好良いですね。
そして雪姫ですよ。我が儘で気儘で、男勝りで、しかし人を思いやる心を持った美しい姫。元々演じていらっしゃる上原さんは女優ではない為、演技に癖がありますがその野性的な奔放さを秘めた美しさは見事でした。「装わぬ人の世を、人の美しさを、人の醜さをこの目でしかと見た」。死を覚悟した雪姫が言います。ここで「醜さ」を言ったことが良かったですね。人の世は善だけでは到底ないですから。
そして終盤に出てくる火祭りの歌。「人の命は火と燃やせ 虫の命は火に捨てよ 思い思えば 闇の世や 浮世は夢よ」。この歌は凄く耳に残るんですよ。無情な現状を歌ったのかな、と。
最後に又七と太平の仲良くしような、と言った後に序盤と同じように仲違いするシーンは笑ってしまいました。


「ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」
マーティン・スコセッシ監督ドキュメンタリー作品。

【あらすじ】
ビートルズのメンバーとして名声を得たジョージ・ハリスン。友との出会い、愛する人との出会い、そしてインド哲学との出会い。そんなジョージの人生を彼自身の言葉と友人達の言葉で紡がれたドキュメンタリー。

【感想】
Q.今ここに彼が来たら?
エリック・クラプトン「お茶でも飲むかい?」
ダーニ・ハリスン「どこにいたの?(夢の中で)父は言った。「そばにいた」」
親友と息子の言葉から始まるこの映画。
僕はここで何度も書いてるかもしれませんが、ビートルズの中ではジョージが一番好きなんです。ポールとジョンの人気を二分していることはわかっています。ジョージはビートルズ時代、その才能を十分に発揮できず、何とも言えない評価を与えられてしまいました。その後ソロとして才能を開花させるわけですが、はっきりと言ってしまえばジョージはポールやジョンのように天性の才能があったか、と言われれば違うと思います。才能はあったけども、天才ではなかったと思っています。もう一度言いますけど、僕はジョージが大好きです。だからこそそう感じるのです。でも僕は彼の時に優しく、時にシニカルで、時に楽しそうな歌声や楽曲が好きなんです。
この映画ではジョージと特に親交の深い人物達によって語れていきます。ミュージシャンだけではなく、レーサーのジャッキー・スチュワート、モンティ・パイソンのメンバー、テリー・ギリアム、エリック・アイドルなどのインタビューもあり、彼の交流の広さを物語っていますね。クラプトンもこんなに友人がいたのか、と驚いたとインタビューで言っていますが。
面白いのがジョージには二面性があったとリンゴとポールが同じように語っていることです。穏やかなジョージと怒りのジョージの二面性。怒ったジョージといえば、ポールとのあの言い合いが有名ですよね。
全体的にはビートルズ時代は淡々と語られ、一番掘り下げられたのがジョージとインド思想の邂逅です。ここら辺からジョージはそうした思想に傾倒していくので、宗教関係の話が苦手な人には少し見づらいかもしれません。しかしジョージの晩年までの精神性を語るにはこの思想は欠かせないのです。物質的な富を得たジョージが求めた真の人生。スコセッシ監督はこうしたジョージの精神性にまで踏みこんでいて、なかなか興味深かったです。
親友のクラプトンや盟友のポールの言葉も良かったのですが、個人的にはリンゴとジョージの最期の会話には彼と同じく涙ぐんでしまいました。ポール好きな人には申し訳ないですけど、ポールよりもリンゴが語るジョージの方に愛を感じるんです。お互い距離が近かったということもあるかもしれませんが、あのリンゴが涙ぐむというくらい彼らの間には特別な絆があったんでしょうね。
この作品はジョージを好きな人に是非観てほしいです。

「ゴジラ」
宝田明、平田昭彦主演、本多猪四郎監督作品。

【あらすじ】
太平洋沖で漁船が次々と沈没した。調査に乗り出した山根博士は島に行き、巨大な怪物を目撃する。やがて調査の結果水爆実験が原因で安住の地を追われた怪物ではないか、と山根博士は国会で答える。やがてその怪物は島の伝説の怪物の呼称、「ゴジラ」と呼ばれるようになる。

【感想】
この作品は数あるゴジラシリーズの原点にして最高傑作です。思えば戦後の映画って黒澤明にしろ復興の途上でありながら数多くの名作を生み出してますよね。特にこの映画ではただの怪獣映画に留まらず、謂わばテーマ性を内包した映画になっています。それこそまさに「水爆」です。日本にとっては永遠のテーマかもしれません。ゴジラは徐々に子ども達のヒーローのような存在になっていきますが、元を辿れば人間の好奇心と闇が生み出した怪物です。人間が生み出した怪物がその人間達を殺す。要は「核」による報復は人類に跳ね返ってくるのです。あと国会のシーンなんかよく人間のエゴイズムが表れていますよね。人命よりも国の、ひいては自分の保身の為に汗を拭うシーンは現代にも通用します。誤解のないように言いますが別に僕は、だからといってそうした人間を否定はしません。なぜなら人間のそうした「悪」と感じる部分は普遍的なものです。この映画ではそうした部分が滑稽に表れていました。山根博士も実は同じなんですよ。凄く良い人なのですが、この人の場合は研究の一環としてゴジラを生かそうとします。今後の人類の為には確かに必要ではありますが、その意見というのは、あのような現状の中ではやはりエゴイズムになってしまいます。
そしてこの映画とキーマンとなる芹沢博士です。彼は研究の途中で人類に悪影響を及ぼすほどの兵器を作ってしまいます。しかし彼は悪用する人間に渡らないように秘密にしていました。この辺りの苦悩って「原爆」と「アインシュタイン」の関係にも似ている気がします。結局芹沢博士は自分の研究と共に消えてしまうわけです。思えば資料を燃やしてしまっても、自分の脳内には必ず残っていますからね。辛いですが、芹沢博士の決断は泣かせられます。
最後に山根博士がゴジラと同じような生物はまだいるかもしれない、と示唆しますね。これは「核」というものがある限り、ゴジラという化身が表れ人間を滅ぼしていく、という意味だと僕は思っています。

「ダーティーハリー2」
クリント・イーストウッド主演、テッド・ポスト監督作品。

【あらすじ】
売春組織や麻薬組織の大物が次々と殺されていく。捜査にあたるハリーは酔いどれの同僚チャーリーを疑うが彼もまた殺されてしまう。そんな時ハリーは一発の弾丸を手に取り、真相へと辿り着く。

【感想】
やっぱりハリーは格好いい。これに尽きる。正義の側ではあるはずなんだけども、そこいらの犯罪者よりよっぽど恐く敵に回したくない(笑)さて今回はある意味で「正義」とは、がテーマでした。ネタバレしますと犯人は警察であり、自分たちを正義の執行人だと思い込んでいる連中です。一方のハリーという男は発砲しまくってはいますが、一応法を順守しています。ハリーも作中で例え法が腐っていても、次の法ができるまで守るだけと言っていましたね。実は犯人達とハリーは方法が違うだけで根幹は一緒なんですよね。法で裁くか、法で裁けないからこそ自分たちで裁くか。結局のところハリーが全滅させましたが、実は完全には解決されてないんですよね。そうした思想を持った人間は出てくる、と言った警部補の言葉からも暗示されてます。
さあ、3を借りに行こう。

「ミスティック・リバー」
ショーン・ペン、ケヴィン・ベーコン、ティム・ロビンス主演、クリント・イーストウッド監督作品。

【あらすじ】
幼馴染みの三人の運命を変えたある事件。それから年月は経ちジミーの愛娘が遺体で発見された。憤り、哀しみジミー。奇しくも事件を担当するのは幼馴染みのショーンだった。捜査していく過程でジミーの娘と一緒にバーにいたというのは幼馴染みの一人であり、あの事件の被害者であるデイブだった。彼はあの事件以来悪夢に魘されていたのだが・・・・。

【感想】
重たいというより、何ともやるせなさが残る映画でした。過去の事件が三人の人生を狂わせ、歯車はそのままに現在に至る。各々が過去を引きずりながらも目を背け、今を生きていました。そんな三人を過去に戻したケイティの事件。犯罪から足を洗ったはずのジミーは憎しみに燃え、ショーンは幼馴染みを疑わなければならず、デイブは別の事件が元で過去のトラウマを呼び起こす。そこにはかつての仲良く遊んでいた幼馴染みの三人の姿はなかったです。あるのは人間の醜さ、弱さだけでした。
この映画はとても重厚感があるもののミステリーとして、サスペンスとして観るのなら肩透かしを喰らうかもしれません。ただただ不条理な世の中に、そして人間という弱い存在にフォーカスを当てた作品です。ラストに関しては何とも言えず、溜息だけが漏れます。ジミーは罪を犯したものの、ジミーの妻による言葉で慰められます。まるでそれは仕方のないことだ、というように。だからこそデイブの妻との対比が絶妙でした。ジミーの妻は夫の罪を受け入れ、肯定したのに対しデイブの妻は受けとめきれずにいました。デイブの一家のことを思うと胸が痛くなります。何よりもデイブがあれだけトラウマを抱えながらも、最後の最後で嘆願したのは妻と息子に会いたいということでした。結局のところデイブは心の傷をそのままに眠ってしまったのです。セメントの上の「DA」の文字と同じように。
あの時あんなことをしなければ、という後悔は誰にでもあると思います。しかし時間は取り戻せません。現実とは非常でコンクリートのように冷たく、惨いのです。賛否はあると思いますが、なかなか考えさせてくれる作品でした。
author:トモヤムクン, category:映画, 21:16
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小さな映画館 第51幕
(ネタバレを多分に含みます)
「荒野の用心棒」
「駅 STATION」
「ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム」
「RONIN」
「ディーバ」


「荒野の用心棒」
クリント・イーストウッド主演、セルジオ・レオーネ監督作品。

【あらすじ】
無法者達が横行するニューメキシコ。そこでは人殺しこそ正義であった。ある日流れ者のガンマン、ジョーがこの町にやって来る。ジョーの射撃の腕前を買って、町を二分するボスのうちの一人に雇われる。しかし彼はラモンが帰って来たことにより、辞めてしまう。その町の勢力に立ち向かうジョーは果たして・・・。

【感想】
色々曰く付きの作品ではありますが、この作品ほどオリジナルと同等のクオリティを誇った作品はないのではないでしょうか?とにかく若きイーストウッド演じるジョーが格好良い。あの早撃ちは誰しもが真似したくなる。ジョーはヒーローのようですが、やってることは必ずしも正義とは言い難い面もあります(そこは勿論時代背景の考慮しなければいけません)。しかしこうしたアウトローな役って妙に惹き付けられるものがありますね。真っ新で綺麗事ばかり言う主人公よりも、薄汚れた、傷だらけの主人公のほうが好きですね、やっぱり。そしてこのジョーという男は腕があるだけではなく、頭が良く、冷静なのがまた格好いいんです。
「拳銃がライフル銃と対決したら勝ち目がない?試してみよう」。ラストのシーンでラモンとの一騎討ちには震えました。こういう命を懸けた男って男が惚れる男ですよね。
個人的にはどちらの勢力にも無関心で、関心があるのは金と死体だけの棺桶屋が魅力的です。

「駅 STATION」
高倉健、倍賞千恵子主演、降旗康夫監督作品。

【あらすじ】
<直子>
オリンピックの狙撃手でもあり、刑事でもある三上はその練習と仕事の日々が原因で妻子と別れることに。ある日調査中に先輩が射殺され、犯人を追跡しようとするが上司からはオリンピックに専念しろと命令される。そんな時テレビではオリンピック選手の円谷幸吉の自殺を報じる。
<すず子>
三上はオリンピック選手からコーチをやるかたわら、赤いミニスカートの女性を襲う殺人事件の調査にあたっていた。容疑者として吉松五郎の名が挙がり、妹であるすず子を尾行することに。彼女の恋人でもあるチンピラの雪夫が警察に協力すると言ってきた。そしてすず子や三上達の前に姿を現した五郎はすず子の悲鳴と共に捕まってしまう。
<桐子>
立て籠もり事件の際、犯人を射殺した三上。しかし彼の耳には犯人の母親の「人殺し」の言葉残っていた。ある日吉松五郎から死刑執行を報せる手紙が届いた。三上は帰省の為に増毛駅で降りたが大雪の為に船が欠航となり、留まることに。三上は女手一つで切り盛りする居酒屋「桐子」に入っていく。彼らは互いに惹かれていくが・・・。

【感想】
去年亡くなられた高倉健さんの追悼として、この作品をまず挙げます。この作品好きなんですよ。心温まるとか、希望があるとかそういう作品では決してないんですけど、健さんの男の哀愁が感じられる作品なんです。
物語は三上という男と三人の女性の出会いと別れが描かれています。ここで重要なキーワードはやはり<駅>ですね。駅は出会いや出発の場であり、別れや留まる場でもあります。そして<生>と<死>もテーマになっていますね。三上はまず妻の直子を見送ります。三上はただただ佇むだけで、違う場所へ旅立つ直子を追うこともしませんでした。そしてすず子と三上はあまり直接的な関係こそありませんでしたが、彼女が子を堕ろし、そして兄が捕まる瞬間を見ています。つまり彼女の唯一の家族関係が崩壊する瞬間を目撃しているのです。そして駅で出会った桐子の場合、三上自身が彼女の思い人を奪います。そして孤独な三上とすず子は同じ駅から、どこかへつづく汽車に乗り込みます。一体どこに着くのでしょうか。
この作品は自殺や殺人、そして死刑という<死>の描写が幾つか出てきます。特に印象に残っているは五郎が手紙の最後に書いた「暗闇の彼方に光る一点を 今駅舎の灯と信じつつ行く」という言葉です。これは孤独な人間が必死に藻掻き、苦しみ、それでもそんな暗闇の中できっと誰かが待ってくれているであろう<希望>ある場所を探していたという意味だと解釈しています。くさいですが、人生という線路は長く、険しく、先が見えないじゃないですか。そういう時に見える駅の灯というのは、希望になるんです。

「ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム」
マーティン・スコセッシ監督ドキュメンタリー作品。

【あらすじ】
世界的に影響力を持つミュージシャン、ボブ・ディラン。しかしその名声とは裏腹にディランには葛藤があった。

【感想】
「自分の”家”をみつけたかった」「本来生まれるべき”家”に向かう旅をしているんだ」というこの言葉から始まる。ボブ・ディランという名前を一度は聞いたことがあると思います。人によっては「フォークの神様」という異名で呼ぶ人もいるでしょう。もしくは「反戦」を歌った人と。しかしこの映画で見られるのは神様でも仏様でもない、一人のシンガー、ボブ・ディランです。
僕は一度、5年前にディランを観に行きました。今でも「雨の日の女」から始まったあのオープニングは鮮明に記憶しています。ディランはギターを持たず、MCもなく、原型のメロディの片鱗すらない曲を歌い帰って行きました。当時の僕は呆然としていましたが、この映画を観れば、なぜ彼がそうしたスタイルを貫くのかがわかりました。
この映画は主にディランのフォーク期から「追憶のハイウェイ」の時期までです。しかしこの時代こそがディランにとってのターニングポイントとなった時期でもあります。
バーなどで歌っていた名もないシンガーは徐々に人々の心を掴みスターダムへ。しかし熱狂する大衆とは対照的に冷ややかなディラン。時代は公民権運動が盛んで、彼らはディランをそうした運動の象徴として祭り上げました。しかしディランは関心こそあったものの、決して政治的な人間ではなかったのです。政治的な場に出た時ディランは若者を戦場に送る大人達に対して皮肉を言います。そのあとに「黒も白も、右も左もない。上と下か。下は地面すれすれ。どん底。政治のことなんか考えず、這い上がろうと思います」と言い放ちます。
ただただ彼は自分のその瞬間の思いの丈を歌っただけなのです。「僕は今のことにしか興味がない。過去の発言なんかどうでもいいことだ」「ウディ・ガスリーは”今”を歌っている」等の発言からもわかります。さらにラジオで「あなたはどんな歌を作るの?」と訊かれ「現代の歌」と答えています。だから彼が変化していくのは当然なんです。しかしそれを熱狂的な保守的なファンは許しませんでした。それでもディランは歌い続けます。それはなぜなのか?
「最高の演奏はステージ上で生まれる。僕のレコードの中にはない。その瞬間...瞬間、観客に届くことが大事だ」
これこそディランがライブを続けた要因でしょう。きっと誰かには届くだろう、と。ディランの音楽は常に変化していきます。どのテイクを聞いてもまったく異なることから、ディランにとっての最高の一曲というのはその日によって、その人によって違うのです。
あと「Like A Rolling Stone」の裏話も面白いですね。この曲は小説ではなく歌として作ったと語っています。そしてアル・クーパーが語ったギターで来たつもりが自分より巧いギタリスト(ブルームフィールド)がいて、プロデューサーに「オルガンでいいフレーズが思いついた!」と嘘の提案して、あのイントロができたという話も興味深かったし、初めは歌詞が50番まであったりと。
そしてサンフランシスコの記者会見で記者かファンの一人が「バイクのTシャツを着ているのは何か哲学的意味があるからでしょ?」と真面目な顔をして聞いていました。ある女性も「歌詞にはメッセージがあるんでしょ?」と。つまり「彼ら(フォークファン、もしくはトピカルソングのファン)」はディランの曲の中には自分たちに対する何らかのメッセージがあり、共有できるものがあるはずと思っていたのです。何らかの意味を見出したかったんですね。この齟齬。ディランは冗談で返していますが、この温度差が非常にディランという偶像が浮き彫りになりました。
ディランの「家に帰りたい」というのは本来の自分でありたいという意味かもしれません。

「RONIN」
ロバート・デ・ニーロ、ジャン・レノ主演、ジョン・フランケンハイナー監督作品

【あらすじ】
冷戦直後のパリ。謎の女ディアドラのもとに集められた組織からはフリーな立場にいる男達。彼らはディアドラの以来で銀色のケースを奪うことに。しかし次々と起こる問題。男達は真相を突き止めることができるのだろうか。

【感想】
うん、まずね、とりあえずカーアクションに力入れすぎ、事故多すぎ(笑)まあそれは置いといて、デ・ニーロとジャン・レノがとにかく格好良かったですね。こういうアウトローな役も良く似合うんですよ、ほんと。話としてはサスペンス、アクションにはありがちな裏切り、銃撃戦、カーチェイスのオンパレードです。良くいえば盛りだくさん、悪く言えばそれだけのお話ではあります。カーチェイスは見応えがありました。ただ肝心の「浪人」との関連性って何だったんだろう、考えちゃったりします。主君を失い、侍でなくなった者こそ浪人と作中では説明されています。まあ確かに組織からフリーな立場にいることから、一人で闘わなければいけない「浪人」だとは思いますが、ちょっと強引かな、と。ただこの映画のポイントは素性不明な男達と結局中身のわからない謎のケース。これを全部明かさなかったのは正解。これらまで見せてしまうと映画の面白味というものがなくなってしまいます。そうした「あれは何だったんだろうか?」という余韻を残すラストは良かったです。

「ディーバ」
フレデリック・アンドレイ主演、ジャン=ジャック・ベネックス監督作品。

【あらすじ】
郵便配達員のジュールはオペラ歌手シンシア・ホーキンスのファンで彼女の公演に行った際隠れて録音する。バックステージでシンシアと出会ったジュールは思わず彼女のドレスを盗んでしまう。後日直接ドレスを返しにいき、シンシアは一旦は怒るものの、話をしていくうちに徐々に打ち解けあっていく二人。
そんな時ある事件が起こり、ジュールは巻き込まれていく。

【感想】
久々のフランス映画になるのかな?この映画は音楽と色合いが印象的でした。心を揺さぶるようなオペラ、そして血なまぐさい事件とは裏腹に冷ややかな落ち着きをみせる<ブルー>の配色が絶妙でしたね。ベトナムの少女と彼氏のゴロディシュの部屋の青はまさに狂気のブルーにも感じました。そしてなんと言ってもラストシーン。自分の歌声を聴いたことのないシンシアが初めて自身の歌声を聴くシーンです。初めて聴く側となり、自分の歌が初めて届いたのではないかと。
この映画はそうした優美で刹那な音楽と冷たい狂気のアートを楽しむものだと思っています。正直な話をしてしまえば物語だけ追うとあまり面白味がありません。色々名組織に追われるラブロマンスは陳腐でありきたりです。ただこの映画はそうしたものを上回る美しさで彩られていました。つまりつまらないってことか?と聞かれるとそうではありません。この映画は謂わば”雰囲気”を楽しむ映画です。
author:トモヤムクン, category:映画, 00:08
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小さな映画館 第50幕
※多分にネタバレを含みます。
「許されざる者」
「ダーティー・ハリー」
「アフタースクール」
「トト・ザ・ヒーロー」
「ヒアアフター」


「許されざる者」
クリント・イーストウッド主演、監督作品。

【あらすじ】
―ある町の酒場で客のカウボーイが娼婦の顔を切りつける事件が起きた。その後捕らえられ保安官が来るも、7頭の馬を引き渡すことで一件落着させた。しかし娼婦達は納得せず、カウボーイの首に懸賞金をかけた。
―カンザスで暮らす伝説的なアウトロー、ウィリアムは妻を亡くし、二人の子どもと暮らしていた。そんな彼のもとにキッドという若者が現れ、酒場の一件で賞金を山分けしないかと持ちかけてくるが妻と出会ってからウィリアムは既に人を殺めることを禁じていた為、彼の誘いを断った。しかし子ども達との暮らしも厳しく、金が必要だったウィリアムはキッドを追いかけることにした。その道中、昔の仲間でもあるネッドを誘い町へ向かうことに。

【感想】
何とも言えない哀しみや虚しさが残る作品だった。西部劇といえば日本の侍活劇のように勧善懲悪もののイメージがあるけども、この作品では一体何が悪なのかがわからなくなる。娼婦を切りつけたカウボーイ達は確かに残忍な行いをしたが、彼らは言われた通りの償いをした。見せしめの為に悪人を痛めつける保安官も彼の信念と町の秩序の為という意味がある。そしてウィリアムも子ども達の為に、「悪人」と呼ばれている男達を殺した。題名が示す「許されざる者」とは一体誰のことであろうか?映画を鑑賞する前はまだ観ぬ「悪人」のことかと思っていたが、見方によっては登場人物の誰もが「許されざる者」になる。要はこの作品は許されざる者達の負の連鎖を描いた物語なのだ。
ウィリアムとネッド、そしてキッドの対比は興味深い。人を殺したこともないのに、誇張し、人を殺しに行こうとするキッドと人殺しから手を引いた二人の老体。それが最終的には立場がまったく逆転する。キッドのいう敵を殺すというのは少年達が「悪」を倒す「正義」のヒーローごっこと同じなのだ。しかし本当に人を殺したことのあるウィリアム達は違う。人を殺すということは「悪」が「悪」を倒すだけであるということを知っている。「正義」はなく己の欲望の為の手段でしかないことを。人を殺したことにより人としての道理を思い出し去ったキッドと人を殺すことを禁じ、良い父親であったはずなのに冷酷非道の一面を再び取り戻したウィリアム。この作品にヒーローはいません。町に降る雨のように、何か冷たく虚しい感情だけが残りました。
エピローグとモノローグにウィリアムの妻の母の話が出てきますね。なぜあんな男と結婚したのか?という疑問を呈していました。もしかしたらウィリアムにとって妻は唯一の「許してくれた者」だったのかもしれません。
それにしてもモーガン・フリーマン、ジーン・ハックマンとベテランの演技は流石のものでしたね。

「ダーティー・ハリー」
クリント・イーストウッド主演、ドン・シーゲル監督作品。

【あらすじ】
サンフランシスコのとある屋上のプールで一人の女性が殺された。捜査にあたるのはハリー・キャラハン。彼は犯罪者には容赦ないことから”ダーティーハリー”の異名を持つ。そして次々と起こる殺人。犯人との攻防戦が始まる。

【感想】
遂にダーティーハリーシリーズの感想を書きたいと思います。本当にね、イーストウッドは渋い。そしてアウトローな役がよく似合う。ただ凶悪犯とはいえ、あれだけ発砲して、殺しておいて現職でいられるって凄いな、と(笑)今作の犯人はサイコパスのような人物だが、実に憎たらしく、憎悪を煽る。しかしハリーも怖い(笑)あれだけ執拗に追いかけくる刑事はやはり犯人からしても相当なプレッシャー。それがこの映画の緊張感を出していていいですね。とにかくこれぞポリスアクション映画の真骨頂と言える名作です。
さて本編とは変わり、特典映像のインタビューでイーストウッドは続編の可能性を否定してますね。確かに余生を送ってるハリーが事件に巻き込まれる、みたいな脚本があっても何だか蛇足な感じがしますね。
最後にハリーの決めぜりふを。
「考えてるな。弾が残っているかどうか。実は俺にも分からないんだ。だがこれは特製の大型拳銃(マグナム44)だ。脳みそが吹っ飛ぶ。よく考えろ。弾があるか。どうだクズ野郎」

「アフタースクール」
堺雅人、大泉洋、佐々木蔵之介主演、内田けんじ監督作品。

【あらすじ】
教師の神野のもとに元同級生を名乗る探偵が訪ねてくる。神野の幼馴染みで、一流企業に努めている木村という男を捜しているという。更にそこにヤクザや会社の社長、そしてキャバ嬢と現れ、ストーリーは思わぬ展開に。

【感想】
内田けんじ監督作品ということで期待して観ました。するとどうでしょう見事な出来ではありませんか(某番組風)。いや、まさにこれぞエンターテインメントといった映画です。僕が伊坂幸太郎作品が好きなのもありますが、キャラが立っていて、コミカルで、伏線を最後最後で活かす作品は大好物です。
それにしても終盤を見終え、序盤を思い返すとキャラの違いが凄いことになっています。真面目な木村は少々剽軽な性格で、お人好しな神野は冷静な性格で、とそのギャップに思わず笑ってしまいました。終わってみると爽快感が残り、温かい思いで終わります。まあ、オチはあったんですけどね(笑)何だろうこの作品については、以上です(笑)感想で書くより、観て、といった感じです。

「トト・ザ・ヒーロー」
ジャコ・ヴァン・ドルマル監督作品。

【あらすじ】
トトは両親と姉と弟と、幸せな生活を送っていた。しかしある日向いの家に住むカント氏の命により飛行機に乗った父が行方不明となる。母は憔悴していく一方、トトは姉のアリスと
共にカントに復讐を誓う。しかしトトは姉とカントの息子アルフレッドと仲睦まじい姿を目撃する。それに激怒したトト。アリスはトトに対して誤解を解こうとするが・・・・。

【感想】
切ないですね。トトが向ける銃口のように、彼はアルフレッドという標的を用意しないと自分の足で立って、生きられなかったと思うと何とも言えない気分になります。トトは赤ん坊の頃の記憶があり(もしくはあると思っている)、自分はアルフレッドと取り違えられたと思っています。しかし両親は優しく、陽気で姉のアリスはトトを愛してくれて、弟は障害がありながらも明るくてて、例え血は繋がっていなくても(と思っている)トトは幸せいっぱいだったのです。しかし自分の家族もそして本当の家族もすべて奪われたと思ったトトは憎しみだけが自分を支えるものとなりました。
この作品は本当に妄想と現実を上手く織りなしています。トトは姉に対して愛情を見せますが、普通に考えれば姉との恋愛はタブーです。しかし彼の中では取り違えられているからこそ、姉と結ばれることができると思っているのです。つまりの彼の願望ですね。彼のこうした行為は自分を傷つけない為の防衛本能でもあると思います。
そうした自分の人生を、トラックの荷台にある遠ざかる過去を見て再確認したことで虚しくなったのか、悲しくなったのか、トトはとうとう誰に向けるかわからない拳銃(憎しみ)を捨てました。そしてトトは最終的に憎きアルフレッドを殺すことができたのです。自身がアルフレッドになることによって。そして彼の中の、妄想の中のヒーローであるトトも死んでしまった。そして彼は灰となり、夢である飛行機で空を飛ぶことができたのです。彼はようやく様々な笧から解放されることができたのだと思います。ただあの突き抜けるような笑い声は聞いていて悲しくなりました。
これはベルギー?フランス?どちらかはわかりませんが、素晴らしい映画でした。

「ヒアアフター」
マット・デイモン、セシル・ドゥ・フランス主演、クリント・イーストウッド監督作品。

【あらすじ】
―フランスの有名ジャーナリストのマリーは滞在先のインドネシアで津波の被害に遭い、臨死体験をする。
―以前まで霊能力者として有名だったジョージは自らの才能に嫌気が差し、肩書きを捨てて生活している。ある日料理教室で女性に出会うが。
―イギリスで暮らす少年マーカスは双子の兄を亡くし、さらには母親とも引き離され絶望にうちひしがれていた。彼は何とか霊能力者と会い、兄と話したいと望む。

【感想】
この物語はそれぞれの国の人物が「死」に囚われた話です。マリーは自身が死に接し、マーカスは最愛の人の死を見て、ジョージは死人と対話ができる能力を持っています。生きるということは必ず死に面しています。死は自ずとやってくるけれども、実際生きていく上で忘れがちになることが多いと思います。彼らは死を見て、生きることとは、生きていくこととはとそれぞれが答えを出すのに苦しんでいきます。そして彼らにはそうした答えを引き出してくれるような理解者がいませんでした。しかしそんな三人がまるで運命のように引き寄せられ、出会い、そして答えを見つけていきます。それぞれ完璧な答えではないのかもしれません。しかしそれでも、生きていく為の大きな一歩を踏み出したことは確かです。非常に淡々と、そして冷ややかに死と生を描いた作品でした。
author:トモヤムクン, category:映画, 21:05
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