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太宰治と津軽
私事ですが年が明けて間もなく大学時代の恩師を亡くしました。
元々余命宣告を受け、その段階でお会いして、ある程度の覚悟をしていましたが親しい人を亡くす経験があまりない為に、亡くなった後は数日心がぽっかりと空いた状態でした。
そんな空虚な日々を過ごしている中で、本棚にあるある本を手に取りました。
太宰治の「津軽」です。
先生が太宰治の研究者ということもあり、研究室に言ってはよく太宰治の作品についてご教授していただきました。
僕が太宰の作品の中で一番好きな作品でもあります。

多くの方が太宰治と聞いてイメージするのは「暗い」「ナルシスト」「ネガティブ」だと思います。
恐らく「人間失格」のイメージと太宰治の半生が重なり、そうしたイメージが付いたのでしょう。
ある意味では太宰治という作家は、作品ではなく作家で語られることが多いです。
しかしそのパブリックイメージはあまりに偏ったものがあり、太宰治という人を表したものではありません。
太宰の作品の多くは非常に諧謔的で自虐的な面が押し出されています。
ただ同じように僕の大好きな作家三島由紀夫は非常に太宰のことを嫌っており、著書の中でも太宰をこき下ろしていますね。共感する部分もあれば、それは三島さんもでしょ!、とつっこみたくなる部分もあるんです。まあ二人は似てるんですよね。根っこにはコンプレックスという共通点があり、弱さがありました。弱さを克服しようとしたのが三島で、弱さを受け入れようとしたのが太宰です。結局は根っこが同じなので、同族嫌悪ですね。

特にこの「津軽」という作品は太宰の本質に一番近いのではないでしょうか。
臆病で諧謔的で自虐的で、それでいて誰かに愛されたい。
太宰治、いや津島修治の本音を垣間見ることができます。

【故郷とコンプレックス】
「津軽」とは太宰の故郷のことです。
青森県北津軽郡金木村で太宰治こと本名津島修治が生まれました。
修治は大地主である津島家の六男で、父親は衆議院議員・貴族議員、兄もまた衆議院議員という、所謂エリートの家系で育ったわけです。修治も一応東京帝国大学に入学していますが、仏文学科に在籍していながら当人はフランス語がまったく理解できず、次第に悲観的になり、果てには女性と入水自殺を図り、長兄を怒らせるなど家族に迷惑をかけてしまいます。修治はそうしたことに対し自己嫌悪と、そして家族に対する劣等感を募らせていきました。
つまり太宰にとって故郷の「津軽」というのは「コンプレックス」の一つになります。これは非常に重要なことなんです。今作では太宰は津軽に帰る、つまり自身の「コンプレックス」と向き合うということが主題になるからです。僕が本質に近い、と表現したのにはまさにそれです。「コンプレックス」というのは自己の本心でもあります。今まで逃げて、目を背けてきた本心に対し自ら歩み寄った作品なんです。
そして後述しますが、もう一つは「愛」がテーマです。

【津軽人と愛憎】
出版社の依頼で津軽に赴くことになった太宰は、故郷で様々な知人と再会します。どの人達も皆、太宰を歓迎し、彼を嫌っている人物は出てきません。寧ろ歓迎し、労ってくれています。太宰はそうした人達を時に諧謔を加えながら描いています。

太宰は冒頭の部分で自身が津軽人であることを強調しています。
津軽人を
「津軽人の愛情表現は、少し水で薄めて服用しなければ、他国の人には無理なところがあるかも知れない。(p73)」
「ふだんは人一倍のはにかみやの、神経の繊細な人らしい。これもまた津軽人の特徴である。生粋の津軽人というのは、ふだんは、決して野蛮人ではない。なまなかの都会人よりも、はるかに優雅な、こまかい思いやりを持っている(p74)」

というように評しています。
この津軽人の特徴は太宰本人にも当て嵌まるんですよね。はにかみやで繊細で、誤解されやすい。
自分はやはり津軽の人間なのだ、と太宰は再確認したかったのかもしれません。自分はこの地で生まれた一人の人間であるということを。

太宰はとある雑誌社から故郷に対して贈る言葉を求められ、
「汝を愛し、汝を憎む」
と答えています。
ここに故郷に対する彼の愛憎が見えますね。これは同時に両親や兄弟に対して言った言葉なのかもしれません。両親は六男の太宰に対し、とても愛情を持って接していたとは言い難いです。実母も冷淡で、太宰にもっとも優しくしてくれたのは乳母なのです。太宰は両親の愛情を求めていたのかもしれませんね。
それこそ僕は前から太宰治はエディプス・コンプレックスだったのではないか、と考えています。父親や兄を畏怖し、母の慈愛を求めていました。しかし実母はその愛情を与えませんでした。母のような愛を欲した太宰は様々な女性に心や体を委ねようとしたのかもしれません。

【諧謔】
個人的に好きな場面があります。それは太宰が鯛を一尾買って、宿の女中に「一尾丸々焼いて下さい」と頼みます。しかし要領を得ていないような女中に不安を覚えた太宰は何度も念を押します。N君は「三つ切り」などにしないでくださいね、と言います。そして調理されて出てきたのは頭も尾もない「五つ切り」の鯛でした。N君はそれでも鯛に変わりはないじゃないか、と言いますが、太宰は鯛を食べたいのではなく、一尾を丸々焼いた姿を眺め、風情を感じたかったんです。この何気ない場面は笑えますし、何より太宰らしいな、と思ってしまいます。

【たけとの再会】
終盤までは紀行文や随筆のような調子なのですが、終盤は打って変わり非常にドラマチックな展開になります。正直な話をすれば如何にも小説的な展開になるんですよね。その本当の意味は後述で書きます。

さてドラマチックになる要因の一つは乳母であるたけとの感動的な再会です。
前述でもあったように太宰にとって乳母のたけは母親のような存在でした。彼にとっては本当に会いたかった人ですね。

「このたび私が津軽へ来て、ぜひとも、逢ってみたいひとがいた。私はその人を、自分の母だと思っているのだ。三十年ちかくも逢わないでいるのだが、私は、そのひとの顔を忘れない。私の一生は、その人に依って確定されたといっていいかも知れない。(p187)」
「故郷といえば、たけを思い出すのである。(p190)」


これだけでも太宰にとってたけが如何に大切な人だったかわかりますね。
やはり「自分の母」だと語っています。それだけ実母になかった「愛情」や「善」を与えてもらったのでしょう。太宰、いえ修治にとって欠けた部分を埋めてくれていたのがたけだったのはではないでしょうか。たけと逢わなくなってからは、太宰は酒で何かを誤魔化そうとして生きてきました。

「私の一生は、その人に依って確定されたといっていいかも知れない」というのは、太宰の善悪であると思います。たけは修治にとにかく本を与えて読ませました。小説家となったのはたけの影響もあるわけですね。そして加えて道徳を教えたのです。それも「地獄」の有様を。嘘をつけば舌を抜かれる、と訊いた幼い修治は大泣きしたそうです。つまり彼にとって「嘘」「罪」という観念が植え付けられたのではないかと思っています。太宰は道化という「嘘」をつき続けていました。もしかしたらそうした「嘘」に対し「罪」の意識があったのかもしれません。そしてそうした「罪」を浄化し、赦してくれる存在こそ、たけだったのかもしれません。

さてこの再会の場面は太宰作品の中でも屈指の名場面でしょう。
青森といえばどこか冬のイメージがあるかもしれませんが、この作品では桜芽吹く「春」の季節です。「春」は希望や生、光のイメージがありますよね。その対照的なものとして挙げられるのが「冬」です。「冬」は絶望や死、闇のイメージがあります(勿論もっとポジティヴなものもありますが)。太宰は「冬」を嫌いだ、と述べているのですが、これは彼の中の「生」や「希望」を意味しているのではないかと、解釈しています。
乳母であるたけとの再会は「生」を享受し、「希望」を抱かせ、暗澹とした先の道を照らしてくれる「光」となるのです。

しかし実際にはたけとの再会は非常に淡々としたものだったといいます。
つまりいくつかは虚構であるわけです。
だから敢えて小説的、と書かせていただきました。

しかし太宰は末文で
「私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。(p211)」
と書いています。

ではなぜ太宰はそういう風に描いたのか?
それはやはり太宰の「本心」であり「願望」であったからでしょう。
たけは自分にとって帰る場所(故郷)であり、愛してくれる人だ、と強調したかったのでは、と思っています。

【最後に】
この作品の最後は非常に印象的で、僕も今でも空で言えます。

「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では失敬。(p211)」

何てポジティブな言葉でしょうか。
太宰の最期を知っていると、まったく想像できませんよね?
しかし彼はこんな自分でも希望を見いだせたのだ、と読者に語っているのかもしれません。

如何でしょうか?太宰という人が少しでもわかっていただけたら幸いです。
決してただただ暗い人ではないのです。
ユーモアに富んでいて、人を笑わせ、しかし心の中では泣いている、ある意味で弱い人間なのです。
その普遍的な弱さに共感する人が多いですね。
僕は「道化を演じる」とした部分に共感した覚えがあります。僕も人の顔を伺って、言動を変えてしまうことがあったので、太宰に共感するんですよね(すべてではないですが)

「津軽」は太宰の作品の中では長編の部類です。ですので、主人公と彼の大嫌いな犬との交流を描いた「畜犬談」、女性の内側と外側を丁寧に描いた「皮膚と心」、どの時代の誰しもが思春期の時代に経験したのではないかと思われるほど、繊細なティーンエイジャーの心情を描いた「女生徒」、誰も描こうとしないイスカリオテのユダのイエスに対する複雑な愛憎を描いた「駆け込み訴え」、子供よりも親が大事、と思いたい、という文章で有名な「桜桃」などなど、短編で面白い作品もたくさんあるで是非読んでみてください。
女性にはもしかしたら角川から出版されている「女生徒」がいいかもしれませんね。


拙く、まとまりのない文章なので、今後も改訂していきたいと思います。
author:トモヤムクン, category:, 20:26
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「ゴリオ爺さん」 オノレ・ド・バルザック
フランス小説の名作「ゴリオ爺さん」をようやく読了。 序盤は登場人物の子細な説明に辟易したものの、その人物設定は見事なもの。 主人公は基本的に貧乏学生のラスティニャック。 ゴリオ爺さんは序盤では非常に謎の多い人物で、館の住人からは嘲笑の対象として語られる(例えば娘だと主張しても、あれは愛人に違いないと断定的にいわれたり)。 あることが切っ掛けでゴリオ爺さんと娘の関係を知ったラスティニャックはゴリオ爺さんに対して同情する。 このゴリオ爺さんの娘を思う気持ちが何とも切ない。 娘の為を思って、自分の身を切って、とにかく苦労させないようにするんだけど、却って娘達は苦労せずに手に入れたお金で贅沢三昧。 口ではお父さん愛してる等と言ってても、いざゴリオ爺さんが危篤だと知ったときは、実の父親よりも虚栄心を満たす為の社交界を優先させようとする。 そんな娘達の行動を理解しようとするゴリオ爺さんだけども、死を目前にしてようやく金で娘達の愛情を買い、醜い真実から目を背けていたことを自覚する。 ”死ぬときになってみて、子どもってものがどういうものかわかる。ああ!ウージェーヌさん、結婚しなさんなよ、子どもなんてもちなさんな!こっちが子どもに命を与えてやっても、子ども達はこっちに死をくれてよこす。子ども達を世間にだしてやると、お返しにこっちを世間から追い出す。たしかに、あの子達はくるものか!十年前から、そのことはわかっていたんじゃ。ときどきそうじゃないかと疑ってみたのじゃが、本気でそう思う勇気がなかったのでな” けど、何だかんだ、やはり実の娘は可愛い。 醜い真実を知りながらも、自分がもっと金持ちであったら娘に会えたのにと嘆く、結局ゴリオ爺さんと娘を繋ぐものがお金でしかない。 ゴリオ爺さんはそれ以上の愛情の表現を知らない。 お金というものが最も簡単で至高の愛情を与えてやるものということしか知らない。 娘の虚栄心を満たすことで自分も満足感を得る。 けど、どんなに娘を思っても、娘達から軽薄な言動しか返ってこない。 これがどんに虚しいことか。 利己主義・虚栄心を描いた「人間喜劇」。 結末はなかなかほろ苦いものも残るけども、非常に読み応えがある。 おすすめ。
author:トモヤムクン, category:, 20:56
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ぼくのともだち

最近、久しぶりに小説読んでて笑った。

それがフランスの作家エマニュエル・ボーヴの「ぼくのともだち」

ミルハウザーの小説を探してたら、たまたまこの本があって、あらすじを読んだら面白そうだなと思い、購入。
もうなんというか、笑えるんだけど、全体的に悲哀のユーモアで切ない(笑)
とにかく無職の主人公は誰かに愛されようとして街に出て、様々な人物と出会うんだけども、結局友達になれるのでは?という期待だけ残して、全員彼の元を去っていく。
この作風、誰かに似てるな、と思ったら、太宰治に似てる。
何とも諧謔的で自虐的なところなんか特に。
憐れんで欲しいが為に自殺する気もないのに、身を投げようとしたり(けど、時々本気で身を投げそうになったり)
そして、自分がなんでこんなに笑えるのだろうと考えたら、結構共感できる部分が多いんだよね(笑)
いや、主人公程友達がいないわけでもないけども、根底にある人に愛されたいという願望はあるかもしれない。
同じように太宰治も道化の根底には愛されたい欲求があったと思うんだよ。

愛されるのが恐い、けど愛されたい。
孤独は恐い、けど愛おしい。
弱いからこそ愛を欲し、孤独を感じる。
時に愛は眩しく、時に毒々しい。
時に孤独は美しく、時に寂寞としている。

読了後、笑みが漏れると同時に涙が出てきそうだった。
オススメの小説だよ。


ちなみについつい笑ってしまったシーンを抜粋するよ。
たまたま出会った人物と友達になれるのではないか、と思った主人公は、彼の恋人の存在、友達という関係に邪魔な第三者の存在を知り、嫉妬する。しかし、主人公はあることでその考えを紛らわそうとする。

―ひょっとすると、ビヤールの恋人は美人ではないかもしれない。彼の恋人が醜女なら、ぼくは元気を取りもどせる。



author:トモヤムクン, category:, 21:50
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暇人書房

読書は生活の一部です。
ただ読書がすべてを占めてるわけでも、主軸になってるわけでもなく、空いた時間を埋めるのにはうってつけの趣味ということ。

最近は色々読んだけど、その中の一部を紹介。

「スティル・ライフ」 池澤夏樹

この作品の詩的な文章は読んでいて、心が澄むようだった。
表題作も好きなんだけど、もう一つの「ヤーチャイカ」が好きだね〜。
ロシア人の男性と出会った、男と、その一人娘の話。
別にロシア人が実はスパイだったとか、奇妙な事件が起きるわけでもないんだけども、読んでいて清々しい気持ちになった。

ちなみに彼のお祖父さんは「草の花」で有名な福永武彦(こちもら既読)、そして娘さんは声優で有名な池澤春菜さん。
池澤さんは、声優に疎い自分でも知ってます。

「肉体の悪魔」 ラディゲ

ラディゲは一度読んでみたかった。
フランス小説が苦手だったんだけど、これはおもしろかった。
夭折という言葉は彼の為にあるのではないかと思えるほどの描写力。
肉体の悪魔というタイトルから卑猥な感じはあるけども、どちらかといえば内面を描いた作品。
個人的には精神が支配した肉体=肉体の悪魔、かな?と。

「おとうと」幸田文

こちらは写真を撮るの忘れてた。
幸田露伴の娘であり作家の幸田文の自伝的な小説。
これは切ない話だった。
弟が徐々に落ちぶれていく様子が痛々しい。
時々見せる弱さだったり、愛だったり、けどそれを被ってしまう仮面だったり。
弟がいる身としては、げんに感情移入して読んでたよ。
まあ、うちの弟は、ああはならないだろうけども(笑)

author:トモヤムクン, category:, 21:04
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古事記編纂1300年・・・・・と1年

去年、古事記が編纂1300年でしたね〜。
なのに、今なぜ、読んだのか、と(笑)
前々から関連する本は読んでたけど、なんだか急に古事記について知りたくなって、この機会に読んでみようと思い立った、ただ、それだけ(笑)
でも、いきなり原文から入るのはハードルが高いし、現代語訳から読んでみようとということで、これを読んだ。

「現代語 古事記」 竹田恒泰

竹田さんは「たかじんのそこまで言って委員会」などで、とても丁寧で理路整然とした話し方で好感を抱いてた。
だから、最初の古事記は竹田さんの著書にした。
古事記を堅苦しく思う人もいるかもしれないけども、竹田さんの細かい解説や注釈等があって、非常に分かり易いし、面白い。
それに重要な神様にはきちんと太字で書いてくれている。

話のほうは、それこそギリシャ神話や旧約聖書の如く、物語として面白い。
伊弉冉尊、伊弉諾尊の話や天照大神と素戔嗚尊の話。
大国主命の国作りの話、初代・神武天皇から推古天皇までの話。
あとは三島由紀夫の小説で知った、軽太子と軽太郎女の話。
そして鳥取県民なら知らない人はいない、稲羽の素兎。

地名なんかもね、結構古事記からの部分が多くて驚いた。
鳥取もまた、垂仁天皇の御子、本牟智和気御子が関わっていること。
ずっと喋らなかった御子が白鳥の鳴き声を聞いて、初めて口をぱくぱくさせたことで、垂仁天皇がその鳥を捕らえさせようとした。
それから、鳥を捕る部民を鳥取部として、鳥取県もそこから名前が来てる。

日本の歴史として教えられることのない、この古事記、いわば日本神話。
確かに、非現実的で神武天皇の実在したかどうかで議論になるけども、竹田さんが書かれてるように、「事実」よりも「真実」なんだよね。

少しでも日本人としての、ルーツを知った気がする。

author:トモヤムクン, category:, 20:10
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三島由紀夫&太宰治

僕は三島由紀夫も太宰治も好き。

けど、ファンの中には当人達(と言っても三島の方)のようにどちらかを一方を嫌う傾向があったりするんだよね。
三島が太宰に面と向かって「僕は太宰さんの文学が嫌いなんです」と言ったのは有名な話。
それ以降三島は著書の中でも太宰を引き合いに出して、どれだけ太宰が軟弱で陶酔しているかを辛辣に書き綴っている。

僕が読んだ本の中で三島とファンであった若き瀬戸内寂聴さんとの手紙のやり取りが印象的だった。
三島のファンだった寂聴さんが「愛の渇き」の読後感などの感想を書いたファンレターを出し、返事を出さない主義の三島には珍しく「あなたの手紙は、あんまりのんきで愉快だから思わず書いてしまった」と返事がきたことがきっかけに文通のやり取りをしている。
その中で、寂聴さんが下宿先の近くに禅林寺があって、そこには太宰の墓と、その向かいに森鴎外の墓があり、太宰の墓には手向けの花があるのに対し、鴎外のほうはさっぱりしていた、と手紙に書いて、三島の元へ送った。
その返事が以下の通り。

「太宰と名を聞いただけで反吐が出る。敬愛する鴎外先生のお墓にどうぞ私の分もお花をあげて下さい。太宰のお墓にお尻を向けて」

寂聴も笑ってしまったらしいが、これには僕も思わず笑ってしまった。
太宰に対する嫌悪感こそあるけど、それをユーモアに、そしてシニカルに包むのは流石。

三島は初めて小説を読む人には敷居が高く、取っつきにくい印象があるかもしれないけど、中には「潮騒」や「永すぎた春」「お嬢さん」のような大衆小説もあれば、「夏子の冒険」のように肩の力を抜いて、思わずくすりとしてしまうような話もある。
三島のユーモアのセンスは卓越してる。

けど、ユーモアといえば、実は太宰もまたユーモアに富んだ人物。
「人間失格」やその晩年のイメージから太宰を悲劇的なイメージでとらわれがちだけど、話の中身は思いの外自虐的なユーモアに満ちあふれてる。

出久根達郎氏はあるエッセイの中で、三島の太宰嫌いは劣等感であり、近親憎悪ではないかと推測してる。
その中で太宰の文学のなにに惹かれたのか、それはユーモアではないか、となかなか面白い考察がされてた。

似たもの同士の二人。
どちらも文学史に置いては重要な二人。

author:トモヤムクン, category:, 22:04
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【大人とは、裏切られた青年の姿である】 「津軽」より

【英語の話】
しばらく勉強としての「英語」を怠ってたんで、かなり能力が低下してる
目に見えて落ちているものだから、焦る焦る
メッキの剥げた部分に塗装すれば良いという問題じゃなく、内側から修繕し、補整していかないと

なので、英語の長文を和訳し、読解する練習(リハビリ)を始めた
洋書を和訳しようと、思い通販でペーパーブックを二冊購入
驚いたのはペーパーブックはかなり安い!
なんと一冊300円程度
二冊で600円
これはお得

購入したのは「The Little Prince(星の王子さま)」と「The Great Gatsby(グレートギャツビー)」
「星の王子さま」の著者はフランスの作家サン・テグジュペリ
なので、本来原書はフランス語なんだけど、英語に翻訳されたものを購入
これがなかなか初心者に最適のボキャブラリーとグラマー
だから、最初はこの本から手を出してる

「グレートギャツビー」は個人的な趣味
好きなんだよ、フィッツジェラルド
フィッツジェラルドの描く愛情、虚栄、喪失、虚無
あの薄く、それでいて濃度の高い霧が体を包み込むような独特な雰囲気がある
「ねえ、親友」と語りかけてくるギャツビーの姿を思い浮かべると、今でも感傷的になるよ
村上春樹の訳も出てるみたいだけど、野崎孝(新潮文庫)の訳をオススメするよ
勿論、読み比べてみるのもいいけどね
これも、翻訳できたらいいけど、なかなかこの雰囲気は掴めないな〜


【音楽の話】
B'zの新曲をCMで聴いた
触りだけ聴いた感想はあまりインパクトはなく、それでいてきっちり水準を保っている感じ
ただ何せB'zの曲は全体を通して聴くと化ける曲が多い
だから、サビだけでははっきりとした評価はできない
それより今年はライブがあるのだろうか?
来年はPleasureを期待

個人的にはロジャー・ウォーターズの「The Wall Live」が観てみたい
奇跡的と言ってもいいほど、関係が修復されつつあるピンクフロイドの再結成は今後単発ではあるかもしれないけど、ツアーはやらないと思う
そうなると、このロジャーの名盤「The Wall」の完全再現は貴重
ただ、ロンドン公演の「Comfortably Numb」ではデヴィッド・ギルモアがステージに立って、歌い、そしてギターを弾いた
この曲はロジャーとギルモアが交互にボーカルを取り、ギルモアの叙情的なギターがあってこそ完成される曲
まあ、それを言ってしまえば全部の曲がそうだけども
その場に居た人たちが羨ましい
ニック・メイスンも何度か共演してるみたいだね
ただ、ワールドツアーこそしているけど、ロジャーは今後来日しないだろうね
日本嫌い、とかなんとか言われているけどもそれ以前に会場、動員数、何よりギャランティの問題がある
昨今の来日アーティスト(しかもベテラン)のようにZEPPのようなライブハウスで演奏してくれるとも思わないし
関係ないけど、最近はルー・リードも来日してないね
逆に去年ようやく初来日したジョニー・ウィンターは日本公演が余程気に入ったのか、再来日してくれるね
あと、ザ・フー
フーも2004年の来日以来は4年周期で来日してる(今年はロジャーのソロだけども)
そしてなんと言ってもトム・ウェイツ!!!!
来日宣言をしてくれた彼はいつ来てくれるのだろうか
個人的にはブルース・スプリングスティーンも観てみたい

【小説の話】
「太宰治は暗いイメージがある」
「人間失格」、もしくは「晩年」、そしてその最期の印象が強く、陰鬱なイメージがまとわりつく
けど、そのイメージを払拭する作品がいくらでもある
「パンドラの函」、「お伽草紙」、「女生徒」、「グッドバイ」等が特に
ただ、個人的におすすめしたいのは「津軽」
この作品は太宰の性格が良く出た作品
紀行文のような小説で、前半から中盤にかけては津軽に対する愛と毒を吐き、旧友や知人と語り合い、呑み合う
終盤は両親よりも慕っていた乳母のタケに会いに行く
タケとの再会シーンは物語を締めるのに相応しく、全体的に温かくなる
個人的に好きなシーンは鯛を買って、丸ごと焼いてくれと言ったのに、頭も尾もなく五つ切りになって出てきたシーン(笑)
ただ単に鯛を食べたいのではなく、その風情を味わいたかった太宰の気持ちはよくわかる
そして、この小説の良いところは最期の言葉

【さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬】

author:トモヤムクン, category:, 22:13
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ジェミィ

「犬派ですか?猫派ですか?」

この質問を幾度訊かれたことか
その度に僕は「懐いてくれればどちらでもいい。猫が懐けば猫派だし、犬が嫌えば、それもまた猫派」と曖昧に答えてきた


ただ、強いて言うならば






そう思わせてくれた一冊がポール・ギャリコの「ジェミィ」

この小説はどちらかと言えば大人の童話
読んだのはいつだったか忘れたけど、未だに読み返したくなる一冊で犬よりは猫好きにした小説
というのも、このポール・ギャリコが大の猫好きで、この作品もギャリコが書いた猫小説の中でギャリコ自身一番だと豪語するほど

大まかなあらすじとしては主人公のピーターが猫になって、雌猫のジェミィと旅をする物語
ピーターを通して猫から見た人間の心の美麗さと醜悪さ、そして猫達の社会を垣間見ることができる
特に相棒の雌猫、ジェミィの存在は非常に大きく、ピーターに強く影響を与えるんだよ
痩せすぎで、目のつり上がった猫だけども、ピーターはそこに女性としての魅力を感じ心惹かれていき、彼女を守る為に強くなろうとする姿が丁寧に描かれてる
ピーターの気持ちに応えるようにジェミィのピーターに対する慕情もある
ただジェミィは人間に対するトラウマと嫌悪感がり、元々人間のピーターに対してだけ心開いていく
その為、いつもミルクをくれる猫好きのおじいさんから食物を貰うだけ貰ったら逃げたりしてたんだよね
そのことが後々、ジェミィの心を深く傷つけるんだけどね
個人的にはそのおじいさんとの話と船上の話が好き

結末は非常に切ない
ハッピーエンドかと言われれば、ハッピーエンドなのかもしれない
一応「大団円」とは書かれているからね

この小説を読むと猫がどうして身繕いするのか、少しわかるようになるかもしれない

もしも猫の世界を垣間見てみたいのなら、この小説はお薦め

author:トモヤムクン, category:, 20:02
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僕はビートルズ
「僕はビートルズ」の7巻をようやく購入♪

後楽園球場でのコンサートを控えたファブフォー
しかし、ショウが何者かに誘拐されてしまう・・・・・

本当、一体どうなってしまうんですか
無事にショウは助かるんかね?
僕はジョージが大好きなんで、ショウがキャラクターの中では一番好き

後楽園でやるのは言わばシェイス・タジアムの再現だよね
ただ、ファブフォーのアルバムがベスト盤のようになってる(苦笑)
まとまりがないような気もするけど・・・・
author:トモヤムクン, category:, 18:36
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汚れつちまつた悲しみに・・・・

「汚れつちまつた悲しみに・・・・・」 中原中也

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとえば狐の革裘、
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れちつまつた悲しみは
懈怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる・・・・・

最近は中原中也の詩集ばかり読んでる
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なんでか、惹かれるんよ、この人の詩

この人の粗暴で荒くれた生き方であったり、誰しもがある弱い部分だったり繊細で純粋な部分が反映されてる

結構生き方としてはロックなんだよ

ロックが全部そうというわけではないけども、何というか60年代、70年代の「ロック」のあり方に似てる

その作品にはそこにある主観的な悲哀だったり、苦痛が随所に散りばめていて、それがじわじわと染み込むように伝わってくる

どちらかと言えば頭で見つけられるものでも受け止めるものでもなく、感覚で捉える感じ

そこもまた好きになった要因の一つかな?

でも純粋に文学としても好き

結構好きな詩はいっぱいあるんだけども、今日何となく良いな、と思ったものを抜粋

「山羊の歌」から「酔生」と「独語」

「酔生」
私の青春も過ぎた、
―この寒い明け方の鶏鳴よ!
私の青春も過ぎた。

ほんに前後も見ないで生きて来た・・・・
私はあむまりに陽気にすぎた?
―無邪気な戦死、私の心よ!

それにしても私は憎む、
対外意識だけ生きる人々を、
―パラドクサルな人生よ。

いまここに傷つきはてて、
―この寒い明け方の鶏鳴よ!
おゝ、霜にしみらの鶏鳴よ・・・・

「独語」
器の中の水が揺れないやうに、
器を持ち運ぶことは大切なのだ。
さうでさへあるならば
モーションは大きい程い。

しかしさうするために、
もはや工夫を凝らす余地もないなら・・・・・
心よ、
謙抑にして神恵を待てよ。


何が良いのか、っていうのは自分でも説明するのは難しい

それにこれをどう理解できたか、というのもまた難しいこと

詩とかって、本当の答えはないんだよね(というよりもこれが答えではないか、と思うことしかできない)

自分が納得するものが答えなんだよ

抽象的に表現されたものは、作者しか答えは知らないんだよ

もしかしたら作者も知らないのかもしれないけども・・・・・・


村上春樹が「スプートニクの恋人」でこういう文を書いてる

【理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない】

これも全部ではないけども、わかる部分があるんだよ

理解したということは、結局それは自分の中で了承した認識であって、必ずしも正解ではないのかもしれないんだよね




稚拙だけども、今日は少し、照れくささもなく、長文で書いちゃいました

いつものようにおちゃらけた感じじゃなく、たまにこういう真面目に書く時がある(笑)

author:トモヤムクン, category:, 23:06
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