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小さな映画館 第107幕

「ブラッド・ダイヤモンド」

「ベニスに死す」

「グラディエーター」

「乱」

「悪魔は誰だ」

 

「ブラッド・ダイヤモンド」

レオナルド・ディカプリオ ジャイモン・フンスー主演 エドワード・スウィック監督

 

【あらすじ】

内戦が続くアフリカ西部シエラレオネ共和国。漁師のソロモンは反政府勢力RUFによって村を襲われ、息子を浚われる。ソロモンはRUFの資金源となっているダイヤモンドを採掘するために強制労働をしていた時、偶然ピンクがかったダイヤモンドを見つける。その時政府軍によって攻撃され留置場へと連行されたソロモンはローデシア出身の白人アーチャーと出会う。

 

【感想】

ディカプリオ主演作の中でも1,2を争う名演と名作。

人間の浅ましさ、強欲さ、残忍さ、それらがすべて詰まっています。たったひとつのダイヤを巡って、です。

ダイヤは確かに美しく、その価値は古来より高貴なものとされてきました。しかし、例えば飢饉があった場合、ダイヤは何の役に立つのでしょう?ダイヤで満腹にできるでしょうか?美しい以上の価値がそこにあるのでしょうか?

しかし人間はどこまでも欲を追い続けます。

アフリカでは同じアフリカ人同士が殺し合い、そこに西洋人たちがあらゆる利権を求めて介入していく、まさに地獄絵図です。

ソロモンは貧しくても、医者になりたい息子や家族を愛していました。ダイヤ以上の価値のあるものです。しかしそれが無残にも奪われてしまいます。

一方のアーチャーも両親を殺されており、国に翻弄された男です。彼はダイヤの密売をしていましたが、ソロモンやボーエンと出会い変わっていきます。最後にはダイヤモンドにも勝るものを手に入れ、静かに眠りました。

映画の最後にも書いてありましたが、例え紛争が一時終結しても、少年兵はたくさんいるんです。少年兵ほどむごいものはありません。なんのために生まれてきたか、なんのために戦うのか、それらすべてが利用されるんです。ソロモンの息子ディアは今後苦しむと思います。例え薬漬けにされ、命令されていたとはいえ人を殺してしまったんです。だからこの話は、その後こそ重要なんです。

 

人種間の争いは欲からもくれば、それは恐怖からも来ます。争い自体はなくならないにしても、努力を怠ることをしてはいけません。

肌の色で争うのは本当に醜い。どんな肌の色をしていたとしても流れる血の色は同じなのに…。

 

「ベニスに死す」

ダーク・ボガード ビョルン・アンドレセン主演 ルキノ・ヴィスコンティ監督

 

【あらすじ】

静養のためにベニスに訪れた作曲家のアッシェンバッハは、ポーランド貴族の少年タジオと出会い、その美しさに理想の美を見出す。しかしベニスでは疫病が流行っていた。

 

【感想】

 

トーマス・マンを好きになったのは三島由紀夫のおかげです。彼がことあるごとにマンの影響を語るうち、読んでみたくなったんです。するとマンを読んでいくうちに、どれだけ彼が三島に影響を与えたのかがわかりました。それどころか、マンの一部を模範して作られている作品もあるくらいです。

原作「ヴェニスに死す」では作家として登場するアッシェンバッハですが、今回は友人のマーラーと重ね合わせた作曲家として登場します。

さて注目すべきは友人アルフレッドと繰り広げる「美」に対する討論です。

アッシェンバッハは「美と純粋さの創造は精神的な行為だ」とし、美と純粋さは理性と知性から生まれると主張します。しかし友人は「美は感覚に属するものだ」と反論するんです。

アッシェンバッハは感覚という曖昧なものを否定します。「感覚に対して優位に立つことで、真の英知に到達できる。さらに真理と人間的尊厳へも」。さらに悪魔と芸術家の同一性を否定します。芸術家になるのも、悪魔になるのも、それは理性によって決まることだと。

それに対し友人は「それは何の役に立つ?」とし「邪悪は必要だ。天才の食糧だ」と主張しました。つまり天才の中にも「悪魔」と同一であることがあります。

それでも「芸術家はバランスの象徴であり、曖昧ではいけない」とするアッシェンバッハ。しかしアルフレッドは「芸術は曖昧だ。特に音楽はその性格が強い。それが自然科学をもつくった」とし彼はピアノを弾き、「どうにでも解釈ができる」とし「音楽」という芸術の曖昧さを強調しました。芸術は各々の解釈次第でなんとでもなってしまうという、「芸術」の完璧性に対する欠点を言い当てたのです。

 

アッシェンバッハは理性をもって美を追求しようとしましたが、それが突然終わりを告げるのです。それこそタジオという美しい少年の登場でした。それは自然的に発生した、彼にとっての究極の美なのです。アッシェンバッハはアルフレッドの言うように感覚でそれを捉えたのです。

老いたアッシェンバッハは「少年」の美しさを追っていきます。しかし美しいベニスの街を覆うのは「コレラ」でした。観光が経済と直結しているベニスの人々は、例え疫病が流行っていても、観光客が減ることを懸念して口をつぐみました。忍び寄るのは「死」。しかしアッシェンバッハは死よりも美を選択しました。

「(砂時計の)砂の上の部分がなくなった頃には、終わっている」というように最後はアッシェンバッハはタジオの美しい姿を目に焼き付け、死んでいきました。

 

タジオは本当に同性であってもその美しさを認識します。この映画を「少年愛」や「同性愛」で観る人もいるかもしれません。しかしこれはあくまで芸術家の理性を超えた「美」がテーマです。

美少年というのは決して彼自身が努力をした結果ではありません。自然に兼ね備えた美なのです。ただし、その美でさえ、人によっては醜悪にも映ります。そう、その美を捉えるのは、やはり各々の感覚なのです。美というのは自意識の究極のエゴであるのです。

 

「純粋さは努力ではどうにもならない。この世で老人ほど不純なものはない」

 

「グラディエーター」

ラッセル・クロウ主演 リドリー・スコット監督

 

【あらすじ】

ローマ帝国の皇帝であり、哲学者でもあるアウレリウスのもと、将軍マキシマス・デシムス・メレディウスはゲルマニアに遠征し、勝利を勝ち取る。すでに老帝となっていたアウレリウスは息子のコモドゥスの野心を警戒し、マキシマスにローマを頼むと託す。しかしコモドゥスはローマの皇帝となり、マキシマスを殺そうとする。逃れたマキシマスは愛する妻と息子を殺されてしまう。失意の中、マキシマスは奴隷となってしまうが、剣士(グラディエーター)となり、再びローマ帝国へ戻る。

 

【感想】

かっこいい!!ラッセル・クロウはやっぱこうでなくちゃ!って感じの映画。

とにかくローマ帝国時代ってワクワクするんですよ。ハンニバルやスキピオが活躍したポエニ戦記、ゲルマニア人との攻防、カエサルの独裁と暗殺。

長いローマ帝国は数多くの皇帝を生み出しました。カエサルの意志を継いだ初代皇帝アウグストゥスからいろいろいたわけですが、とりわけマルクス・アウレリウス・アントニスは五賢帝最後のひとりです。世界史でも名前が出てきますし、「自省録」は有名ですね。そんな名帝にも汚点がありました。それが息子のコンモドゥスです。野心家でとにかく疑心暗鬼。ただこれには映画では描かれていない内容もあるわけです。

この映画はそんなコンモドゥスを、言ってしまえば「悪」の皇帝として描かれています。

主人公のマキシマスはローマに忠実で、家族思いの主人公。部下からの信頼も厚く、とにかく人に愛される男です。

ただはっきり言えばこの映画、マキシマスを主人公に見せかけて、案外コンモドゥスにスポットを当てています。父から見放され、姉からも警戒され、誰からも愛されないんです。おまけにローマの民衆までマキシマスの見方をしてしまいます。そんな姿を描かれるわけですから、どうしても「まあ悪くなるわな」と思わざるをえないんです。

実際のコンモドゥスは暗殺されてしまいます。まあ結構非道なことばかりしてましたからね。ただこの映画ではマキシマスの手によって殺されます。だから殆ど史実とは違うんですけど、史実にしろ、映画にしろ、なんとも救いようのない死にかた。最後はいわゆる「理想のローマ帝国」を取り戻そうで終わります。

すごくシンプルな物語の中に、「闇」と「光」をみせ、なおかつ2時間半以上の長丁場を飽きさせない、リドリー・スコットの演出は良かったです。

 

「乱」

仲代達也 原田美枝子主演 黒澤明監督

 

【あらすじ】

戦国時代、齢70の秀虎はうたた寝で悪夢を見たため、突如隠居を表明する。秀虎は息子たちの団結を説くが、三男の三郎は父親の弱きさに懸念を訴える。しかし秀虎は激高し、三郎を追放してしまう。秀虎は長男の一郎の城に身を寄せる。一郎の正室楓の方は「馬印がなければ形だけの家督譲渡に過ぎない」とし、馬印を父から取り戻そうとするが、そこで小競り合いが起き、秀虎は一郎の家来のひとりを射殺してしまう。そのことで一郎も領主の立場に従うように言うが、秀虎は拒否し、二郎のもとへ。しかし二郎もまた父を無下に、しまいには息子たちが自分を殺そうと迫りかかったことで、狂ってしまった。

 

【感想】

正直な話、「リア王」が下敷きになっている時点で物語のオチは大方読めます。しかしそれを日本で成し遂げた黒澤明の手腕。まさに見事としかいいようがありません。恐らく、日本映画はこの先このくらいのスケールの映画は撮れないかもしれません。

さて、この映画はいわば戦国の世の、人間の欲望と愛憎が描かれています。秀虎はたしかに名のある戦国武将であっても、それは血なまぐさい所業の果ての成功です。そこには多くの涙が流れています。末のように憎しみから解き放たれるために仏の道を説く者もいれば、復讐しようと一文字家の滅亡を眺めようとする楓の方のような悲劇的な人物を生み出していきます。仏教的に言えば、因果応報です。

最後のほうでこの映画の主軸となるセリフがありますね。若干説教くさくもありながら、人間の真理を言い表しています。「神や仏も救う術のない人の世」。これが人の世です。それくらい穢れているんです。この世は神も仏も見放した、という黒澤明のメッセージは僕の心にも響きました。

個人的に個性的な登場人物がいるなか、ピーター演じる狂阿弥の存在は際立っていましたね。秀虎の側で阿呆を演じながら、狂った大殿に対しては本音をぶちまける。だけど崖から落ちて本気で心配したり、大殿の死に涙するんです。

狂阿弥ってすごい名前だと思いません?長男、次男、三男なんて、ほとんど適当な感じの名前なのに、この狂阿弥だけ際立ってるんです。狂った阿弥陀のよう。本来悪人であろうと救う阿弥陀が狂ってしまうとしたら。それはなんとも醜悪な世の中です。でもそれこそがこの映画の趣旨です。

それにしても仲代達也のメイクは狂気とともに恐怖さえ覚えます。

 

「悪魔は誰だ」

オム・ジョンファ キム・サンギョン主演 チョン・グンソプ監督作品

 

【あらすじ】

15年前に起きた誘拐事件は時効を迎える。15年間必死に捜査をしていたチョンホは失意から辞職を願い出る。しかし15年目のある日、同様の手口で少女が誘拐される。

 

【感想】

スピーディなんだけど、早すぎて雑!演出も!!ただそんな雑さもスピードがあって黙殺されるという皮肉。

過去と交互に見せていく演出は良かったんだけども、オチの雑さと、とりあえずじいさんの瞬発力ヤバすぎ!!

とまあ、いろいろ書いてるけど、いい映画ですよ。何より犯人が序盤から現れているのに捕まえられない感じは良かったです。ハラハラもするし、展開も気になる。なによりも真相が気になったうえでの、あの切ないラストですからね。ただし、最後に少女を使って自白を強要し、別の容疑をでっち上げて懲らしめるっていうのはちょっとな、と。もちろん時効が切れているからこそ、罪を償わせる手段なんですけどね。ただね、その孫娘ってある程度記憶してると思うんですよ。子どものうちはどんな証言をしたって、子どもだから、とか、被害者だからといった理由で、証拠には値しないと思うんです。ただね、彼女が大人になったらどうです?たしかに祖父は最悪の誘拐犯だったかもしれない。だけど、自分は利用されたんだと気づくと、大人になって想像以上の痛みを伴うと思うんです。そこが個人的に感じるこの映画のオチの弱さです。

タイトルは秀逸だと思います。原作のタイトルはわかりませんけど、たしかに「悪魔は誰だ」ったんでしょうね?

 

author:トモヤムクン, category:-, 18:05
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